الاثنين، 16 سبتمبر 2019

山口真帆

山口 真帆(やまぐち まほ、1995年9月17日[2] - )は、日本のタレントであり、アイドルグループNGT48の元メンバー。愛称はまほほん[2]。青森県出身[2][3]。研音所属[4]。身長161cm。血液型はO型

略歴
2015年

7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格[5]。8月21日に新潟市歴史博物館で開催されたイベント「みなとぴあ」で他の1期生(ドラフト2期生も含む)21名とともにお披露目された[6]。
2016年

1月10日、正規メンバーに昇格。新たに結成されたチームNIIIの所属となった[7]。
2017年

6月17日開票の『AKB48 49thシングル 選抜総選挙』では20,818票を獲得して53位(フューチャーガールズ)となり、初のランクインを果たした[8]。
2018年

4月13日、朱鷺メッセで開催された『NGT48単独コンサート 〜朱鷺は来た!新潟から全国へ!〜』で発表された組閣において、新たに結成されるチームGに異動となることが発表された[9]。
6月16日開票の『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では20,654票を獲得して70位(アップカミングガールズ)にランクインした[10]。
7月1日、チームGの初日公演において、副キャプテンへの就任が発表された[11]。
2019年

1月8日から翌日にかけて、SHOWROOMおよびツイッターによって、前年12月に自宅で暴行被害に遭っていたことを告発した(詳細は後述)。
4月21日にNGT48劇場で行われたチームG「逆上がり」公演の千秋楽公演において、NGT48を卒業することを発表した[12]。
5月18日、NGT48劇場において『「太陽は何度でも」公演〜菅原りこ・長谷川玲奈・山口真帆 卒業公演〜』が開催された[13][14]。
5月19日、NGT48としての活動を終了[注 1]。
5月25日付けで芸能事務所研音に移籍[4][16]。これにともない、それまでのSNSへの投稿をすべて削除した[17]。
8月1日、公式サイトと公式ファンクラブを開設[1]。
9月17日、初写真集『present』を発売(予定)[1][18]。
人物
青森県出身で東日本大震災を経験したことをきっかけに、複数のボランティア団体に参加して、東北を中心にボランティア活動をしていた[19]。その中でAKB48グループが被災地でイベントを定期的に行っている被災地復興支援活動を知り、感動してアイドルを目指した[19]。携帯会社の毎月料金から募金するプランで募金を行なっている[19]。
社会貢献活動に興味を持っている。費用の面で断念したが海外ボランティア留学をしてみたいと調べたりもしていた[19]。
好きな食べものはマンゴー、牛タン、シャインマスカット[2]。
特技は「わたあめの早食い」と「英文をそれっぽく読む」こと[2]。
北原里英の卒業後は兼任の柏木由紀を除くと、NGT48で最年長のメンバーになった。「年下メンバーがかわいくて仕方がない」という一方で、「適度なところでお姉さんとして振る舞える人になりたいな」とも語っていた[20]。
将来の夢はモデル。太れない体質で、NGT48の衣装も丈を増やしてもらわないと着られないくらい、身長に対して脚と腕が長い体型である。アイドルとしてはこのような細身の体型がコンプレックスになっていると告白しており、「モデルという仕事は、自分のコンプレックスになっている部分も活かせる場なんじゃないかなと思います」と述べていた[20]。
暴行被害
事件の詳細については「NGT48#暴行被害事件」を参照
2018年12月8日、新潟市内にある自宅マンションの一室前において顔を掴まれ口を塞がれるなどの暴行被害を受けた。暴行の実行犯である男性2名は新潟県警に逮捕されたものの、同月末に不起訴となり、釈放されている。この事件はメディア等でも報じられず、表沙汰になっていなかったが、2019年1月8日から翌日にかけて、山口自身がSHOWROOMおよびツイッターによって被害を告発したことで明るみに出た。告発内容は、他のNGT48メンバー複数名が事件に関与していたこと、NGT48の運営スタッフが適切な対応を行わなかったことを伺わせる内容であり、1月9日にNHKが主要メディアでは初めて報道したことで世間に知られることになった[21]。

1月10日の3周年記念公演において山口本人がステージに立ち、騒動になったことについて謝罪を行った。責任者である劇場支配人(当時)の今村悦朗が姿を見せないまま被害者に謝罪をさせたとして、世界各国のメディアからもNGT48運営の姿勢に対して批判が集まった[22]。

1月18日、19日に開催された『AKB48グループ リクエストアワー セットリストベスト100 2019』には出演しなかった[23]。その後も公の場には姿を見せず、ツイッターでの「いいね」を除いて発信のない状況が続いていたが、3月22日、第三者委員会による調査報告に関するAKSの会見中にツイッターを計5度更新し、AKSの主張にリアルタイムで反論。会見に出席した記者が山口のツイートを見てAKS側に確認するという異例の展開となった[24]。

4月21日、NGT48劇場で101日ぶりに公演に出演し、アンコールの後「(事務所社長に)会社を攻撃する加害者」と言われていたことを明かし[25]、「今の私にNGT48のためにできることは、卒業しかありません」と卒業を発表した[12][26]。

NGT48での参加楽曲
シングル選抜楽曲
NGT48名義

青春時計
出陣
暗闇求む
世界はどこまで青空なのか?
僕の涙は流れない - SNS選抜名義
ナニカガイル
春はどこから来るのか?
Whatcha Gonna Do - セクシー6名義
世界の人へ
カーテンの柄 - チームG名義
AKB48名義

「君はメロディー」に収録
Maxとき315号 - NGT48名義
「翼はいらない」に収録
君はどこにいる? - NGT48名義
「ハイテンション」に収録
ハッピーエンド - レナッチーズ名義
「シュートサイン」に収録
みどりと森の運動公園 - NGT48名義
「#好きなんだ」に収録
自分たちの恋に限って - フューチャーガールズ名義
「ジャーバージャ」に収録
友達でいましょう - NGT48名義
「センチメンタルトレイン」に収録
ひと夏の出来事 - アップカミングガールズ名義
「NO WAY MAN」に収録
それでも彼女は - 大人選抜2018名義
夢へのプロセス - AiKaBu選抜名義
劇場公演ユニット曲
チームNIII 1st Stage「PARTYが始まるよ」

クラスメイト
チームNIII 2nd Stage「パジャマドライブ」

てもでもの涙(1stユニット)
純情主義(2ndユニット)
チームNIII 3rd Stage「誇りの丘」

祈りはどんな未来もしあわせに変える
チームG 1st Stage「逆上がり」公演

抱きしめられたら

渡る世間は鬼ばかり

『橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり』(はしだすがこドラマ わたるせけんはおにばかり)は、毎週木曜日21時 - 21時54分に、TBS系の「木曜21時」枠で放送された日本のテレビドラマシリーズ。

1990年から2011年までシリーズとして断続的に制作・放送された。連続ドラマ終了後は、1 - 2年に1回のペースでスペシャルが放送されている。全10シリーズで、通算放送回数は510回(最終シリーズ後のスペシャルも含む)
概要
1990年にTBSが開局40周年[注 1]を記念して企画された1年間シリーズとして放送したが、好評を得て断続的にシリーズ化された。岡倉大吉・節子夫婦と5人の娘たち(弥生、五月、文子、葉子、長子)とそれぞれの家族の暮らしを描く家庭ドラマである。

通称「渡鬼(わたおに)」[2]。

タイトルは「渡る世間は鬼はなし[注 2]」ということわざもじってつけられたもので、「相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと、自分が鬼でなかったら相手のことも鬼だと思わない、という意味を込めたんですよ」と石井ふく子プロデューサー語っている[3]。

放送期間は各シリーズとも1年間。視聴率は全てビデオリサーチ調べ、関東地区のもの。

2010年10月14日より第10シリーズの放送がスタートし、本シリーズをもって連続ドラマでの放送は終了した。2009年春よりこれまで放送されていた木曜21時枠がバラエティ枠となり、ドラマ枠は水曜21時に移動した関係上、放送枠については未定であったが[4]、その後TBSより、木曜21時枠での放送が発表された[5]。2010年8月26日、TBSは「丸20年という節目で、出演者の皆さんが元気なうちに美しく切り上げたいという思いもあり、ここで区切りをつけようと判断した」として10月14日に始まる第10シリーズで終了することを正式に発表した。

最終シリーズ終了からおよそ1年が経過した2012年9月17日と9月24日に「月曜ゴールデン」枠の21時 - 22時54分で、最終シリーズ終了から1年が経った岡倉家や「幸楽」を描いた「ただいま!!2週連続スペシャル〜前後編」が放送された。全シリーズ・全単発スペシャルを通して放送曜日が初めて月曜日となり、解説放送も実施した。2013年にも5月27日と6月3日に「月曜ゴールデン」枠で「2013年2時間スペシャル〜前後編」が放送された。2014年秋も新作スペシャルの収録が予定されていた[6] が、大吉役の宇津井が死去したために、大吉が急逝した後の岡倉家を描いた「2015年2時間スペシャル〜前後編」が2015年2月16日と2月23日に放送された。2016年9月18日と9月19日に、中華料理店「幸楽」を改装する小島家を描く「二夜連続特別企画 渡る世間は鬼ばかり」が放送された。最終シリーズ以降に放送された単発スペシャルはいずれも前後編を2週に分けて放送したが、初めて2夜連続の放送で、初めて日曜日に放送される。テーマソングに歌詞がつき、天童よしみが歌った。2017年9月18日に「渡る世間は鬼ばかり 3時間スペシャル」が放送された。番組史上初の3時間の放送である。2018年9月17日には、最新作「渡る世間は鬼ばかり 3時間スペシャル2018」が放送された。また、2019年もSP放送が予定させており、故・赤木春恵(小島キミ役)も死去した設定で遺影として写真出演する。

明治座や芸術座などで舞台版が制作され、出演者の配役がダブルキャストなど異なり、ドラマの舞台化やドラマでは描かれなかったストーリー構成で、舞台のみに登場する役柄もいる。原作は橋田壽賀子だが、脚色が石井君子、演出が石井ふく子と、一部のスタッフがテレビドラマと異なる。

藤岡琢也(第7シリーズ最終話)、森光子(第9シリーズ)、淡島千景(最終シリーズ)、杉山とく子(第7シリーズ)、河内桃子(第3シリーズ)、京唄子(最終シリーズ)、坂口良子(2012年スペシャル)、赤木春恵(2013年スペシャル)などこの作品が遺作となった出演者は多い。節子の叔母役で杉村春子が出演している(第1シリーズ)。

第1シリーズ
1990年10月11日 - 1991年9月26日(全48回、平均視聴率18.2%)
第2シリーズ
1993年4月15日 - 1994年3月31日(全49回、平均視聴率23.8%)
最終回(1994年3月31日)の関西地区での放送でシリーズ最高視聴率41%を記録。
第3シリーズ
1996年4月4日 - 1997年3月27日(全50回、平均視聴率26.6%)
第3シリーズでは、石井ふく子の脱税のために、第1シリーズ、第2シリーズで演出を担当していた井下靖央がプロデューサーを担当することになり、演出・プロデューサー両方を兼任していた回もあった。
最終回(1997年3月27日)の放送でシリーズ最高視聴率34.2%を記録。
ドラマの中心的役割を担っていた山岡久乃のレギュラー出演最後のシリーズ。
第4シリーズ
1998年10月1日 - 1999年9月30日(全51回、平均視聴率24.7%)
第5シリーズ
2000年10月5日 - 2001年9月27日(全50回、平均視聴率24.3%)
このシリーズからハイビジョン制作。
第6シリーズ
2002年4月4日 - 2003年3月27日(全51回、平均視聴率23.5%)
第7シリーズ
2004年4月1日 - 2005年3月31日(全51回、平均視聴率18.2%)
藤岡のレギュラー出演最後のシリーズ。
第8シリーズ
2006年4月6日 - 2007年3月29日(全50回、平均視聴率18.2%)
第9シリーズ
2008年4月3日 - 2009年3月26日(全49回、平均視聴率14.1%)[注 3]
最終シリーズ
2010年10月14日 - 2011年9月29日(全47回、平均視聴率13.7%)[7]
放送20周年を迎えるこのシリーズをもって終了することになり、「最終シリーズ」という表記が追加されている。
特徴
4クールの長期放送
この番組は1シリーズごとに1年間(4クール)のシリーズを組む大河シリーズとして放送され続けてきた。1963年から続くNHKの大河ドラマや、1970年代のホームドラマ『肝っ玉かあさん』、『ありがとう』(プロデューサーは石井ふく子)などがあるが、近年(平成になってから)では珍しい。1980年代に橋田が3本の大河ドラマ(『おんな太閤記』、『いのち』、『春日局』)の脚本を書き高い視聴率を取った結果、確固としたテーマ設定があれば長期放送でも十分視聴率を確保できる見通しがあった。
キャスティング
第1シリーズのキャスティングは前年のNHK大河ドラマ『春日局』に「橋田ファミリー」が多く出演していたため、その出演者を引き継いでいる。唐沢寿明、香川照之はこの関係で出演し、第2シリーズ以降は降板している。
レギュラー陣の泉ピン子、山岡久乃、藤岡琢也、長山藍子、前田吟、中田喜子、赤木春恵らは、1990年までの時点において橋田作品への出演実績の多い俳優・女優であった。
ナレーションは石坂浩二が担当している。なお石坂は、第1シリーズの最終回に特別出演している。
また、ジャニーズ事務所、石原プロモーション、オスカープロモーションとの関連も大きく、多数の役者が出演している。
サブタイトルなし
理由は不明であるが、1980年代以降の連続ドラマでは珍しい。石井ふく子製作のドラマは、原則としてサブタイトルがない。『ありがとう』・『肝っ玉かあさん』・『おんなは一生懸命』などでも同様であった。
各家族に設定されたテーマ
主人公の岡倉節子(山岡久乃)が登場していた初期のシリーズでは、5人の娘それぞれの家族にテーマが設定され、節子の行動的な性格もあり基本節子が視聴者目線で岡倉姉妹の家庭に訪れる場面が多く物語がほぼ均一に近い時間配分で展開されていた。また、娘の婚家と実家のそれぞれの親が対立するシーンがあった。しかし、山岡降板後の第4シリーズからは中心的役割が小島五月や岡倉大吉に移り基本各家庭の姑達にやり込まれる大吉の性格上実家対婚家の構図が崩れ、節子ほど岡倉姉妹の各家庭に訪れる事がない為それに代わり親子問題、教育問題が扱われることが多くなった。幸楽でも聖子が加わって以降小島キミの性格も理不尽な態度の描写がさらに増えていき単純な嫁いびりだけの話が多くなった。しかし、第8シリーズから五月の姑の小島キミ役の赤木春恵が一時降板し、代わりに小姑の久子がレギュラー復帰した以降は嫁いびりの話も徐々に減っていき聖子の性格も第9シリーズ以降は大人しい性格になっている。それに反して主役の小島五月の性格も姑や小姑の登場の減少や貴子がレギュラーになってからは高飛車な部分も見せている。また、五月の娘の愛も(姑のキミや小姑の久子と邦子のように五月の姉妹や父親の大吉に横暴な態度はほとんど取らないが)幸楽の経理事情や跡継ぎ問題、眞の嫁の貴子や夫の誠に対しては高飛車な態度を取っていき気性の激しい性格に変化している。五月の嫁の貴子も第9シリーズは明るく愛想のいい性格で五月との関係も序盤は五月に拒絶され不仲であり中盤から良好な関係に落ちついていたが第10シリーズ以降は穏やかで愛想のいい部分も時々見られるが父親の病状の事もあり基本根暗で被害者意識が強い性格になっていき、五月との関係も今度は貴子の方から拒絶される場面が多くなり眞と結婚して以降もその状態が続き、五月からも再び嫌悪感を持たれ両者の関係が悪化していき五月と貴子の『嫁姑問題』のエピソードが増えていき争いの内容も五月とキミの争いと違いどちらにも非があるように描かれている。野々下加津も第9シリーズ以降は以前と比べると口数が少なくなり影が薄くなっていて、第10シリーズは事実上レギュラー降板しイレギュラーの形での登場となった。小島家でのエピソードも「眞の結婚問題」、「愛と誠夫婦」、「おやじバンド」のエピソードがほぼメインになっていて小姑達のトラブルや嫁いびりのエピソードは減っている。物語全体的には「岡倉大吉とおかくらと本間家」「小島家とその周辺の人々」がほぼ物語のメイン、野田家が準メインとなっており、その他の家族(文子、葉子)はほぼサブ的要素となっている。2015年スペシャルからはそれまで物語の社交場の中心的役割を担っていた岡倉大吉が不在になり、主要な登場人物も以前ほど岡倉の店に出入りする機会が減っていき(2017年スペシャルの五月曰く「おかくらは日向子ちゃんの代になってから行きづらくなった」)、日向子の母親の本間長子を除けば岡倉姉妹の相談事を聴く役割も姉妹間やそれぞれの家庭内だけでとどまる場面が増えてきている。
長ぜりふ
1回の台詞が長いことで有名である。台本の見開き1ページが丸々1回の台詞ということも多い。その長い台詞が終わるまで周囲の人物は相槌をほとんど打たないなど、不自然さを指摘する声もある。
一人あたりの台詞が長く、相槌が極端に少ない理由は、このドラマの主な視聴者が主婦層であり、放映時間が夕食の後片付けの時間帯と重なるという理由で、テレビ画面から目を離しても、音声だけでドラマの展開が分かるようにとの配慮(ラジオドラマ化)であると出演者の岸田敏志がラジオ番組で打ち明けている。本来は台詞と台詞の間や、登場人物の表情の動きなどはト書き(前述で表現されるべき部分の指示)で説明されることが多く、また台詞も演出や台本へのト書きの書き入れなど制作工程上の理由から、1本につき2行前後で収めるのが原則である。
リアルタイムの年月の流れ
ドラマの中の時間は放送日の数日前から当日までで、その時期に応じた季節の話題、行事を取り上げることが多い。しかし、脚本自体は数か月前には書き終えられているので、最新の話題が取り上げられるわけではない。
登場人物の多さ
シリーズを重ねるたびに登場人物が増えている。新しい出演者はゲスト出演ではなく、新レギュラーとして加わることが多く、それがレギュラー陣肥大化の原因となっている(特に「小島家とその周辺の人々」が多い)。
多い自営業、少ない会社員
ホームドラマで会社員を描いても面白くないために、大きな会社の事務室のシーンは少ない。そのため、第1シリーズでは、サラリーマンであった、岡倉大吉・野田良・高橋亨の3人は次々に脱サラし、レギュラー陣の職業もほとんどが小規模の自営業(商店)となっている。“会社員はつまらない” “定年後はすることがない” “手に職があれば食いっぱぐれがない”ということが役者の台詞として繰り返し主張される。
臨終シーンの少なさ
長期間に渡って放送されているため、岡倉節子や遠山昌之、高橋年子など故人となった登場人物も少なくないが、小島幸吉のように病に倒れるシーンはあるものの、多くは新シリーズ第一回で亡くなったことが台詞などで説明され、以後は遺影や回想などでの登場すらほとんどなくなる。また、秋葉時枝のように亡くなったことが本編で語られないまま、死亡したという設定にされているケースもある(この場合は、公式サイトの家系図に「死亡」と記されたのみとなっている)。
出演者のスケジュール調整
ベテランの出演が多いため、スケジュール調整が困難を極めることが多い。ストーリー上、不自然な設定がされ特定者が数か月出演しないことがしばしばあり、場合によっては降板により登場人物が死亡と設定されることもある。また、野々下隆に至っては第3シリーズ、第4シリーズ - 第7シリーズ、第10シリーズでは演者が異なっている(元々第1シリーズ - 第2シリーズに登場する邦子の子供自体も隆とミカではなく豊と忠という兄弟であり邦子が小島家に移住した単発スペシャル2作目から設定変更されている)。また、野田あかり役の山辺有紀は第9シリーズ開始時に妊娠の為レギュラー降板して以降、妊娠期間が過ぎてもなお再登場の機会は全くない。脚本家の橋田壽賀子も「嫌いな役者は作中で出張させたり死なせたりしていました…」と『週刊新潮』で発言をした事もあった[8]。
登場する店・会社など
お食事処「おかくら」(第1シリーズでは岡倉家ダイニング。第3シリーズで改装して開業)
大吉の経営するお食事処。第2シリーズから山口商事のテナントビル内に開業するも、政子の事業失敗と葉子の機転で岡倉家に移店する。
中華「幸楽」(全シリーズ、SPで登場。第2シリーズで改築、2016年SPで更に改装)
五月の嫁ぎ先の中華料理店。2階は小島家の居住スペース。周平が聖子と結婚後、田島家もここに居を構えている。3階以上はマンションとなっており田口家が3階に部屋を借りている。
FTトラベル(第5シリーズから)
文子の経営する富裕層をターゲットにした南米や南極中心の旅行代理店。(Fumiko Takahashi)からきている。最終シリーズ序盤までは高橋家が事務所代わりとなっていたが、最終シリーズ第20話以降はテナントビルに移っている。社員は金田も含め3人だったが、最終シリーズでは5人となったが、後に亨が顧問に就任する。
本間クリニック(2016年SPから)
英作が開業した在宅医療専門のクリニック。英作と長子の住居も兼ねている。2017年SPから由紀も働いている。
喫茶「花」(2018年SPから)
弥生が近所のお年寄りたちの憩いの場所をつくるために始めた喫茶店。
かすみ監査法人(第10シリーズから)
眞が勤務する監査法人。
和菓子「菊屋」(第7シリーズから)
みのりが奉公する和菓子店で姑のサワが営んでいる。本店は康史が経営している。
村上モータース
武志の勤務先の自動車修理工場で、ごはんやの配達車、あかりの移動販売車、良の庭師用の軽トラックなどもここで改造・納品している。
北原設備工業
隆の勤務先の水道工事及びリフォーム会社。社長の北原はおかくらの常連客でもある。
過去の店・会社など
小料理屋「おたふく」(第1シリーズ - 第2シリーズまで)
会社員時代の大吉がこの店に通ったことがきっかけで退職、修業を積んだ。多額の借金により閉店。
化粧品店(第2シリーズ)
久子が経営する花王ソフィーナブランドの化粧品店。一時期は邦子も働いていた。幸楽と隣接するビルの1階にあった。
フランス料理「ラ・メール」(第2シリーズ - 第4シリーズまで)
弥生が勤めたことのある飲食店。経営不振により大手チェーン会社に吸収合併された。
ごはんや(第5シリーズ - 第8シリーズ冒頭まで)
弥生の夫・良たちが共同経営するご飯の製造・宅配サービス。第8シリーズで野田家の人間は全て退職している。おかくらと幸楽も主要取引先のひとつ
バー「くるみ」(第6シリーズ)
勇が通い詰めたバー。女将・里美と不倫関係になったと思われたが、実は美人局だった。後に女将は改心し勇や五月に謝罪し、郷土に帰る。
自然食品店「あさま」(第2シリーズ - 第4シリーズまで)
亨が始めた自然食品店。何だかんだ言っていた文子も手伝うようになる。
本間病院(第8シリーズまで)
常子が院長を務めていた病院。伸彦の姉が経理を一手に持ち逃げしたことにより、経営不振になり倒産。
北川保育園(第7シリーズ - 第10シリーズ)
弥生がボランティアで勤めていた保育園。孫の勇気が以前通っていた。2016年SPで、北川家の相続の問題から閉園したことが語られた。
田口宅食サービス(第8シリーズ - 第9シリーズまで)
誠が結婚後経営するお年寄りに病人食を配達するサービス会社。不況の影響により、吸収合併された上に経営方針が変わってしまった。その後、誠は、「幸楽」の3代目店主になった。
大井精機(第9シリーズ)
大井道隆が経営していた会社。不況の影響を受け、買収される。
神林クリニック(第7シリーズ - 最終シリーズまで)
神林が院長を務めるお年寄り向けの医療を目指す診療所。常子が患者の相手をしている他、英作がかねてからの夢である訪問診療を行っている。神林の死後、家が売却されることになり、診療所を閉めた。なお、医療機器は英作が譲り受けた。
洗濯代行業「らくらく」(第9シリーズ)
久子が経営する店で、健治がチェーン店で働いている。このことが久子と健治の復縁につながった。以前は邦子や加津が働いていた。一号店は幸楽と同じビルの1階にある。不況のあおりを受け閉店することになった。
あらすじ
お食事処「おかくら」を経営する岡倉大吉・節子夫婦には5人の娘がいる。上から順に、3月生まれの弥生、5月生まれの五月、7月生まれの文子、8月生まれの葉子、9月生まれの長子。弥生は夫や子供達に手を焼き、五月は姑や小姑からのいびりに悩まされ、文子は病気の姑の面倒を見た後離婚・復縁、葉子は仕事優先でなかなか男性と落ち着かず、末娘の長子は口うるさい姑にも好き放題言い返す奔放な性格。この5人が次から次へと悩みを抱えては大吉の元に相談に来る。妻の節子を亡くして以来、1人で娘達の世話に追われている大吉であるが、ぶつぶつ文句を言いながらも実は娘達が大好きでなかなか子離れができない面もある。また逆に娘達も父親が大好きでお互い忙しい時間を割いて岡倉家に集まっては一緒に食事をしたりするほどの仲。そしてそれぞれ不満を抱えながらも、自分の家族も大切にしているのである。

第1シリーズ
岡倉夫婦(シリーズテーマ「サラリーマンの退職後」)
大吉は親会社を定年退職後、子会社の重役になる。しかしその境遇に不満を持ち、人に使われない生活を夢見ている。しかし、妻の節子には大吉の不満は理解できず、このままサラリーマン生活を続けていくことを願っている。五月の遺産相続問題で退職金が必要になり、大吉は会社を辞める。そして、通い慣れた小さな小料理屋の板前になる。節子は大吉の夢が理解できずなおさら不満が募る。
野田家(シリーズテーマ「専業主婦の自立、老人介護」)
弥生は長年専業主婦をつとめていたが、夫の良は仕事人間であり、二人の子供は自立しつつあり、家で孤独を味わっている。ふとしたことで結婚前にやっていた看護師の仕事に戻ることを決心する。しかし、良も子供たちも仕事に就くという弥生の気持ちが理解できず、日々の暮らしが変わることに文句を言う。半年後、大阪の長男夫婦宅に住む姑のハナが倒れ半身麻痺になる。弥生は看護師を辞めてハナを野田家に引き取り自分で介護をすることに決める。
小島家(シリーズテーマ「遺産相続」)
五月の舅・幸吉が急に亡くなる。遺言状がないため、嫁いだ妹たちは財産を等分することを主張する。しかし、土地の評価価格は高いものの貯金もないために、実際に分けるには店を売るしか方法がない。姑のキミは夫と築いた店を残すことにこだわる。その事があって五月とキミの仲は、一時的に良くなった。しかし、妹たちは納得せず次々と問題を持ち込んでくる。
高橋家(シリーズテーマ「共働き夫婦の子育てと親との関係」)
文子は食品会社で研究職に勤務するキャリアウーマン。職種こそ違うものの同じ会社に勤務する夫の亨以上の仕事をしていた。そのため子育ての時間がとれない。それを姑の年子はいつも厳しく批判した。しかし、問題が続出し離婚問題にまで発展する。
葉子(シリーズテーマ「結婚の条件」)
葉子はハワイで暮らしている間に裕福な家の御曹司である太郎と交際していた。しかし、婚家に縛られる生活を嫌い、結婚後も職業を持ち続けたいと考える葉子は太郎との結婚に疑問を持つ。日本に帰り働き始めた葉子はそこで竹原洋次と知り合う。財産もない三男坊の洋次だったが、仕事上の夢を共有できる洋次は太郎以上の相手に見えてくる。葉子は洋次と結婚することを選択し、ハワイへ移住する。
長子(シリーズテーマ「就職と結婚」)
長子は大学卒業を控えている。大吉節子夫婦は葉子か長子が岡倉家に残ってくれると信じているが、長子には全くその気はない。大学卒業後は一流銀行に就職。大学時代から交際していた加納竜一と結婚の約束もしていたが、同期入行した女性に奪われ失恋。交通事故に遭い、その加害者遠山昌之と知り合う。昌之には死別した妻との間に子供がいた。しかし、長子は次第に昌之に惹かれていき、結婚を決意する。大吉夫婦は子連れの昌之との結婚に大反対する。
第2シリーズ
岡倉夫婦(シリーズテーマ「おかくら開店」)
大吉は調理師試験を受けて、将来は自分の店を出したいと考えている。しかし妻の節子は事業の失敗を心配して賛成しない。試験に不合格になったことを内心喜ぶ。大吉の勤める「おたふく」が借金のため閉店し、大吉は職を失う。しかし、調理師試験に合格後、山口政子の援助を受けて小料理屋「おかくら」を開店する。最初は絶対に協力しないと言った節子だが、開店するとかいがいしく女将として振る舞うようになる。
野田家(シリーズテーマ「夫の単身赴任」)
弥生の夫、良が突然いわきへ転勤になる。身体の不自由な姑をかかえ、子供たちの学校の問題もあるため、弥生は良に単身赴任を要求する。今まで専業主婦の弥生に全てを頼っていた良は不安を隠せない。弥生はこれをきっかけに夫との新しい関係を築けるのではないかと期待する。また娘のあかりは、弥生のような平凡な主婦になるのは嫌、女優になりたいと言い、家を出て行く。
小島家(シリーズテーマ「姑との同居、小姑との同居」)
幸楽の店舗が古い木造から鉄筋のビルに変わる。2階は3世代2世帯が住める広い住居になる。五月は姑・キミと完全同居し、小姑の久子家族とも同居することになる。幸楽の前に邦子が化粧品店を開く。キミは何かと久子や邦子の子供たちを可愛がる。そして愛や眞には孫は平等であるべきだと辛くあたる。五月は子供たちの将来を守るため、キミに逆らうようになる。
高橋家(シリーズテーマ「夫の脱サラ、親との同居」)
夫の亨が会社の処遇に不満を持ち、脱サラを図る。そのためにマンションを売り、母親の年子と同居すると言い出す。同居当初は、年子が息子の望を過保護に扱ったりなど問題が発生したが、文子が亨に関する不満や自分の考えを年子にぶつけたことが逆に年子に好感を持たれ「親は親の生活を、子供は子供の生活」との希望に協力してもらえる。当初、亨が始めた自然食品販売店経営に反対していた文子だったが、ひょんなことから亨の店を手伝うことになり、その甲斐あって軌道に乗り始める。
葉子(シリーズテーマ「仕事か結婚か」)
ハワイで暮らしていた葉子は洋次に捨てられ、失意のうちに帰国し岡倉家へ戻る。葉子との結婚を諦め一度は結婚した山口太郎も、やはり離婚していた。政子は二人を別れさせたことを後悔し、葉子を太郎の嫁にと望む。太郎も葉子が結婚後も仕事をすることに理解を示すが、葉子は結婚よりも仕事に打ち込む生活を選ぶ。
長子(シリーズテーマ「バツイチの結婚」)
長子の夫遠山昌之が、連れ子の遊を残して突然死ぬ。昌之の兄から遺産相続放棄をさせられ、遠山家を追い出されてしまう。路頭に迷った長子は岡倉家に戻り、夫の主治医であった本間英作の口利きで病院の医院長秘書に就職。英作は長子に惹かれるが、母の常子は強引に病院長の娘との縁談を進める。長子は、引き取られた福島県の昌之の兄の家から家出し岡倉家を訪ねて来た遊を保護。冷遇の末、施設に送られそうになった遊を引き取り育てる決意をしていた。英作は結婚式の当日、式場から逃げ出して長子に結婚を申し込む。遊は長崎県雲仙で女将として温泉旅館を切盛りする、裕福で心優しい伯母(昌之の先妻の姉)に引き取られる。
秋のスペシャル
大吉の店は、節子の手伝いもあり軌道に乗り出した。長子と英作の結婚式が近づき、葉子もニューヨークから帰国した。しかし、当の長子の表情は冴えない。聞けば「英作との結婚を考え直したい」という。英作の母・常子が長子のことをお手伝い代わりと見ているというのだ。娘のわがままに呆れた節子は、嫁としての自覚を促すが、その気持ちは長子には伝わらない。一方、五月は店を休み、勇と式に出席するのを楽しみにしていた。しかし勇は「店は休めない」と言うし、キミも式の当日に、大量の弁当を受注してしまっている。なんとか夫を説得した五月だが、キミは店を休むことに大反対し、ついに仙台に住む娘・邦子の元へ家出してしまう。[9]
年末スペシャル
大吉と節子は小料理屋を営みながら夫婦水入らずの生活を送っていた。二人の41回目の結婚記念日を祝うため、久しぶりに五人の娘が集まることになった。五女の長子は臨月の体での里帰りで、姑と折り合いが合わずにお産が済むまで滞在すると告げる。一方、幸楽へ嫁いだ次女・五月も小姑の邦子が仙台から上京し一緒に住むと言い出したため悩んでいた。5人の娘たちはそれぞれに悩みを抱えてはいたが、自分たちの家族の大切さを再確認し、新しい生活の一歩を踏み出していく。[9]
第3シリーズ
岡倉夫婦(シリーズテーマ「おかくら改装」)
山口政子の事業が失敗し、おかくらは閉店せざるをえなくなる。新店舗購入の資金もなく、大吉は商売を諦める。しかし、葉子が自宅を改装して住宅地にある落ち着いた店としておかくらを再開することを提案する。改装の期間、大吉節子夫婦は暮らす場所を求めて娘たちの家を順番に訪れる。台所とリビングと和室を店舗用に改装し、新しいおかくらが開店する。
野田家(シリーズテーマ「娘の結婚」)
女子大を卒業したあかりは、単身赴任中の良の看病のため訪れたいわきで、梨農家の息子和夫と知り合う。弥生の反対にもかまわず、あかりは和夫と結婚する。いわきの工場が閉鎖されるのに伴い、良は東京へ戻ってくるが、仕事を持つ弥生とのすれ違いが目立つようになる。会社の再建のため、良は重役へと昇進する。一方武志は大学進学を嫌い、好きな仕事をしたいと自動車修理工になるため家を出て行く。
小島家(シリーズテーマ「小姑との同居、小姑の不倫」)
五月は相変わらず姑のキミと、離婚して出戻ってきた邦子の機嫌を伺いながら生活している。小姑の久子家族は幸楽を辞めてアメリカ・ニューヨークへ移住した。邦子は子供には父親が必要だと考え、妻のある立石一茂と不倫関係に陥る。立石との再婚を目指した邦子だったが、立石は癌にかかり、結局は死亡する。
高橋家(シリーズテーマ「アルツハイマーの姑の介護」)
亨の母年子がアルツハイマーになる。文子は献身的に介護をするが、年子の状態は一向によくならない。
葉子(シリーズテーマ「二度目の婚約破棄」)
葉子はこれからは照明デザイナーよりも一級建築士の時代であると言い、資格取得に懸命になる。山口商事の業績悪化に伴い、山口太郎との婚約が破棄となる。
本間家(シリーズテーマ「嫁姑問題」)
長子は英作と結婚し、大阪の本間病院で暮らすが常子とうまくいかず離婚覚悟で東京に戻ってくる。英作との二人だけの生活が始まるが、なにかにつけ常子が現れて本間家の嫁の立場を説く。
第4シリーズ
岡倉夫婦(シリーズテーマ「節子の死」)
ニューヨーク旅行中の節子が現地で急死する。半年前に知り合った近所に住む節子の親友タキがおかくらを手伝うことになる。一人になった大吉は深夜急に気分が悪くなり救急車で病院に運ばれる。5人の子供たちはそれぞれ心配する。ハワイから珠子が大吉の70歳の古稀を祝うため帰国する。珠子はニューヨークから宛てた節子のメールを披露する。初期の頃はタキの図々しい態度に煙たがる五姉妹だったが次第に打ち解けて行く。
野田家(シリーズテーマ「息子の結婚相手」)
武志は進学せず静岡の自動車整備工場に就職する。そして既に妊娠している佐枝と結婚する。弥生夫婦は自分たちの孫でない子供が生まれることに失望する。しかし、佐枝の気だての良さに気付き二人の子供の出産を祝福する。一方、あかりは秋葉家で過酷な農作業に従事していた。夫の和夫は水耕栽培に農家としての夢を賭ける。その資金をタキが出資するという。
小島家(シリーズテーマ「小姑の再婚」)
眞はインターネットにのめりこみ、高校進学をしないと言い出す。久子家族が去った後には離婚した邦子家族が住んでいた。ところが、健治が久子と離婚して帰ってくる。邦子は生活のためクレーン車の免許を取り働き始める。そこで離婚して一人暮らしの野々下と知り合い結婚する。母親に捨てられた野々下の娘の加津が現れる。野々下が引き取ることを邦子が拒否したため、五月夫婦が面倒を見ることになる。
高橋家(シリーズテーマ「復縁」)
亨は自然食品の店をやめてハワイでホテル経営を始める。夫婦で協力し介護してきた年子は亡くなり、文子は亨と協議離婚する。しかし、望が起こす問題を文子一人では解決できない。そこへ亨の友人宗方が現れる。宗方は離婚した二人の仲を元に戻そうと画策する。望が別れた夫の亨と隠れて会っていることに文子は愕然とする。望の問題を話し合っていくうちに文子は亨ともう一度やりなおす気持ちになる。
葉子(シリーズテーマ「元婚約者との関係」)
葉子は太郎の妻・美智と会う。美智は二人の交際を非難するどころか、自分が山口家の嫁として不出来なことを詫びる。葉子は美智に自分の仕事を手伝うことで視野を広げることを提案する。
本間家(シリーズテーマ「姑の交際、跡継ぎ問題」)
長子は一人暮らしになった大吉を心配して一緒に暮らし始める。しかし、常子は英作を婿に取られたようで気持ちが納まらない。常子は神林と交際を始める。英作は母親が父親以外の男と付き合うことが許せずに悩む。常子は本間病院の跡継ぎとなるよう英作に何度なく強要していたが、妹の由紀が失恋を機に病院勤めをやめて本間病院に戻る。
年末二時間特別企画
周平が聖子にプロポーズした。今まで聖子にお金を貢ぎ続けた周平はいい返事を期待したが、聖子は結婚を断る。何とか二人を結婚させようとしていたキミはそのことを知ってショックを受ける。どうしても心の整理がつかない周平は不注意からボヤ騒ぎを起こす。周平をかばう五月と聖子の肩を持つキミが徹底的に対立し始める。一方、英作の母・常子が、英作の妹・由紀のフィアンセ・伸彦を紹介するため上京、岡倉へやって来た。英作は2人が結婚すれば、自分の居場所がなくなってしまうと複雑な心境になる。[9]
春の二時間スペシャル
五月の長女・愛が大学に進学することになった。キミは4年間も高い学費を払うことに不快感を示し、嫌味を言い出した。五月は愛の夢を叶えるため、お金のことでキミに迷惑をかけないと宣言し必死に戦った。一方、新婚の周平と聖子は部屋探しをしていたが、このことを聞いたキミは、以前邦子が使っていて現在は加津が使っている部屋に住むように提案する。一方、岡倉では、長子の長女・日向子の教育問題で家族がもめていた。近所の幼稚園に通わせるという長子と英作に対し、有名私立幼稚園に入れて英才教育を受けさせると張り切る常子。大吉は、長子と常子の言い争いにほとほとうんざりしていた。[9]
第5シリーズ
岡倉大吉とおかくら
おかくらにタキの息子の青山久光が現れる。インドで絵を描いてきたというので、おかくらの店舗で個展を開く。タキは久光と葉子の結婚を危ぶみ、二人の結婚を阻止する。
野田家
良はリストラ担当重役として同僚社員の首切りを行う。そして自分自身も会社に辞表を出す(本人曰くリストラ担当として自分自身をリストラした)。あかりは妊娠し病院に入るが、姑の満枝に甘えていると嫌味を言われる。出産を終えたあかりは息子勇気を連れて東京に戻る。水耕栽培の夢を捨てた和夫を許せず、離婚を決意する。
小島家
愛は親に隠れてコンパニオンのバイトを始める。そこで城代正則と知り合い交際を始める。最初は反対していた五月と勇であったが、勇が城代の父親に惚れ込んでしまい逆に愛に早く結婚するように勧めるまでになる。聖子はキミのご機嫌取りに励んでいたが、ある日銀行通帳と印鑑を渡された時に魔が差し、預金を引き出して逃亡する。
眞はインターネットにはまったまま高校進学に悩む。ネットで知り合ったサチに説得され高校受験を決心する。眞は従兄弟の隆と同時期に受験するが、隆は落ちてしまう。隆は荒れて野々下を父親として認めないという。邦子は全て眞と五月が悪いと罵る。隆は高校に進まずに水道工事屋になるというが邦子は外聞が悪く、それを許さない。加津は眞の同級生で、父親に捨てられた森山壮太が気になる。
高橋家
文子は旅行代理店を開くために資格を取ろうとする。努力の結果、旅行業務取扱主任となった文子は望を大吉に預けて南米に視察旅行に出かける。亨は文子が旅行代理店を始めることに反対する。
葉子
葉子のところには太郎の母政子が押し掛けてきて同居する。太郎の嫁の美智と顔を合わせたくないからである。政子はお気に入りの宗方を葉子と結婚させて、3人で暮らすことを望んだ。一方、葉子はタキの息子久光に惹かれていく。
本間家
英作は妹夫婦が大阪の本間病院を継いだことで自分の不甲斐無さに悩む。由紀夫婦と暮らしていた常子が折り合いが合わずに東京に出てくる。一度は由紀と和解し大阪に戻るが、今度は由紀が常子とは一緒に暮らせないので病院を出て行くと長子夫婦のところに相談に来る。
第6シリーズ
岡倉大吉とおかくら
大吉は行くあてのない森山壮太をおかくらで雇う。タキは調理師免許の試験を受けて合格する。壮太の父がおかくらを訪ねて来て、高校を続けさせたいという。しかし、壮太は立派な板前になることが夢だと言って断る。
野田家
あかりは息子の勇気と二人で自立して生活するために、おむすびの移動販売を考える。元夫の和夫が現れて復縁を願うが頑として聞き入れない。良と弥生のごはんやは順調に営業していたが、突然良は経営困難になっている会社の女社長の手伝いをすると言って仙台へ行ってしまう。二人の仲を心配した良の母ハナは自ら説得して連れ帰ると仙台へ旅立つ。
小島家
五月のところへ健治が結婚するといって光子を連れてくる。やり手の光子は幸楽の弁当販売の得意先を増やし始める。眞と加津は行方不明になった森山壮太を見つけ出し、大吉に身の振り方を依頼する。
ニューヨークから健治と久子の娘である加奈がやってきて幸楽をかき回す。久子の境遇が心配になったキミは単身ニューヨークに渡る。そして小さな喫茶店を開く開店資金として2000万円を渡す。それに不満を持った勇はバーのママ里美の元に毎晩通い続け、仕事に手がつかなくなってしまう。
加津がインターネットに書いていた小説が認められ、単行本として出版される。大きな話題になり、幸楽にファンの客が押し寄せる。古い旅館で仲居をしている加津の母もその本を知り、加津と会うためにインターネットで連絡をとり始める。
愛はアナウンサーを目指し、城代に英語のレッスンを頼む。そして両親に内緒で放送局にADとしてアルバイトに行く。
高橋家
望が自分の娘にストーカーをしていると金田利子が訴えてきた。実は音大を目指す友人同士だった。突然家に駆け込み怪我を負わさせられる。怪我の功名それを機会に文子と利子は仲良くなる。
葉子
葉子はいまだに政子と暮らしている。仕事の関係上、宗方との付き合いはあるが結婚までは踏み込めない。仕事以外のことに時間を取られることがいやなのである。宗方もそれを理解しつつも、葉子にプロポーズする。太郎の妻美智は自分の存在が太郎の邪魔になると考え、離婚を申し出る。しかし、太郎も葉子もその必要はないと美智を説得する。葉子は宗方のプロポーズを断る決心をする。
本間家
英作は病院をやめて救急センターで働いていた。しかし、激務のため身体をこわし入院する。常子は日向子を本間病院の後継ぎにしようと教育熱を上げていたが、由紀の妊娠を知り手のひらを返すように日向子への関心をなくす。由紀の夫伸彦は、出産と子育てのために仕事ができなくなる由紀の代わりに自分の姉を本間病院に入れるという。しかし、由紀も常子もそれを伸彦の本間病院の乗っ取りと疑う。
第7シリーズ
岡倉大吉とおかくら
おかくらに壮太の父が現れる。金持ちの会社経営者と再婚するので壮太を引き取りたいという。しかし、壮太は板前を続けたいと言って断る。葉子の結婚がとうとう決まり、岡倉の名前とおかくらの店を継ぐ者がなくなったため、大吉は意欲をなくし店を続けていくことを迷う。
野田家
あかりの元へ和夫が訪れる。いわきの土地家屋は全て処分したので、これからは東京で一緒に暮らしたいという。しかし、あかりは固辞する。希望をなくし和夫は自殺を図る。孫の勇気が和夫を慕う姿を不憫に思い、弥生と良はごはんやで和夫を雇う。勇気が幼稚園に入りたいと願っていることを知り、和夫と弥生夫婦はあかりを説得するが、あかりは承知しない。やっとのことで勇気を幼稚園に入園させる。父親を慕う勇気を見ているうちに、いつしかあかりは和夫を許すようになる。あかりが和夫に復縁話を持ち出した時、和夫は自分の父親としての役目は終わったと言ってあかりのもとを去る。
小島家
健治のケータリング事業が伸びていた。しかし、無理な営業がたたってか食中毒事件に巻き込まれる。
愛は銀行へ就職する。しかし勇から帰りが遅いと叱られ、そして一人暮らしをしたいと家を出て行く。しかし銀行の上司とのセクハラ事件に巻き込まれ窓口業務をはずされたことで希望をなくし銀行をやめる。インターネットを使ったホームページ製作の小さな会社を仲間と作るが開業の資金が用意できず倒産させる。失意の愛は城代正則との結婚を決断するが、城代は既に別の女性との結婚を決めていた。
加津は母親と連絡を取っていたことを野々下に知られる。加津の母みのりは旅館をやめて東京に移り、老舗の和菓子屋に住み込みではたらく。そしてそこの女主人に気に入られる。
キミは脳血栓を患い不自由な身体になる。一緒にリハビリをしようと久子がアメリカ・ニューヨークから迎えに来る。
高橋家
音大を目指しているはずの望は路上ライブをやっていた。文子は驚くが、望は大学へは行かずにプロのミュージシャンになると言い出す。
葉子
葉子は仕事の便宜上、宗方と付き合い続けていた。しかし、政子や宗方との関係を清算しようとした時、宗方の膵臓ガンが発見される。病気を隠し通すために葉子は宗方との結婚を決意する。葉子の努力の甲斐あって、宗方の手術は成功し全快する。しかし結婚したとたん、政子と宗方の嫁としての役割を求める無言の圧力を感じ、葉子は宗方との結婚を後悔する。
本間家
大阪から由紀がやってきて、伸彦とその姉が本間病院の経理を一手に握り、利益を持ち出して姉名義の新しい病院を作っていると訴える。そして由紀は伸彦との離婚を決意する。常子は行き場を失い、神林からの求婚を受けることを決める。英作はそれが面白くない。長子は婿同様の気分で岡倉家で小さくなっている英作のために近所に小さなマンションを借りる。
第8シリーズ
岡倉大吉とおかくら(シリーズテーマ「勉の辞職」「娘との仕事」「壮太の失踪」)
勉が結婚のためおかくらを去る。翻訳家としての才能に限界を感じた長子がおかくらを手伝い始める。壮太の父が再婚相手の死をきっかけに自殺を図る。壮太はリハビリ費用を稼ぐためおかくらを辞めて、ホストになる。
野田家(シリーズテーマ「夫婦の転職」「娘の再婚問題」)
良はごはんやでの仕事は終わったと言って、今後は自然を相手にできる庭師になるという。弥生もごはんやの仕事に疑問を持ち、ごはんやを辞め結婚前に看護師だったことを生かして保育園でボランティアを始める。あかりは息子勇気の保育園の友達はるかを通じて、その父親浅田和久と知り合う。お互いに子供を持つ親ということで、二人は好意を抱き始める。
小島家(シリーズテーマ「小姑との確執」「小姑との同居」「娘の結婚」「息子の恋人」「加津の進路」)
姑キミの代わりに幸楽の経理を見ると言って、アメリカ・ニューヨークから小姑の久子が帰ってくる。健治夫婦はケータリング事業を独立させて幸楽を出て行く。しかし、久子は裏で資金を健治に渡し、ケータリング事業の乗っ取りと健治との復縁を画策する。愛は派遣の仕事で忙しい毎日だったが、そこで知り合った田口誠と結婚しすぐに妊娠する。眞は同級生の吉野杏子と仲良くなり、あちこちに遊びに出かけるようになる。そんな眞を加津は妬ましく思い、悩みを募らせる。
高橋家(シリーズテーマ「息子との別居」)
息子の望がハワイの大学に転学すると言って、日本から出て行く。一人になった文子は寂しさのあまりアルコール依存症になって荒れた生活を送る。友人の金田はそれを心配し大吉に相談する。
大原家(葉子)(シリーズテーマ「二度目の離婚」「三度目の再婚」「初の妊娠」「子供の親権」)
宗方との生活に不満を持った葉子は離婚を決意する。そして、仕事仲間の若い大原透と暮らし始める。すぐに妊娠するが、離婚直後なので婚姻届を出すことができない。妊娠中にもかかわらず葉子は仕事三昧の生活を送り、周囲を心配させる。
本間家(シリーズテーマ「翻訳の仕事の辞職」「父親との仕事」「本間病院の倒産」)
長子は翻訳の仕事をやめて、おかくらを手伝う。大阪の本間病院の経営状況が悪化したため、常子は由紀に会いに大阪へ戻る。英作も東京の病院を辞めて本間病院の建て直しに奔走する。しかし、本間病院は倒産してしまう。倒産後、由紀は英作を頼って東京に移住する。
第9シリーズ
岡倉大吉とおかくら(シリーズテーマ「大吉の想い人」)
大吉は店で酔い潰れた小宮怜子という女性を介抱する。大吉は怜子を気に行った様子で、その後も何度か会っていた。そんな中、長子に常子の看病させるために出した求人募集を見て怜子がやってくる。長子の反対を押し切り怜子を雇うことに。それから大吉と怜子はお互いに惹かれあっていき、再婚の話までに至り、弥生・文子・葉子・長子は賛成するが、五月は亡き母の節子の気持ちを考えてほしいと再婚に反対する。
野田家(シリーズテーマ「娘の失踪」「息子夫婦との同居」)
あかりは恋人に会いにいくため、勇気を残して海外に旅立つ。そして入れ替わるように武志一家が同居することになる。しかし、武志は仕事がうまくいっていないようでほとんど家に戻らずにいた。そんな中、弥生夫婦は佐枝を大切にし、勇気と佐枝の息子・良武を平等に育てることを決心する。
小島家(シリーズテーマ「小姑の帰還」「小姑の事業」「息子の恋人」「娘婿の失業」)
眞は大井精機の社長令嬢・大井貴子を両親に紹介する。五月は社長令嬢という肩書きを気にして貴子に冷たく接していたが、彼女の人柄を気に入る。しかし大井精機は、金融危機の影響によりファンドに買収される事となり、大井精機社長夫妻は離婚し、結局貴子も父と中国に渡る事になる。
勇は幼馴染の源太・哲也と再会し、ギターを弾いていた頃を思い出す。そして誠や典介も加わり、五月達に内緒で「おやじバンド」を結成する。そのことを知った愛が五月に言ってしまったものの「趣味とかやりたいことがあるのはいい」と賛成する。しかし、典介が海外転勤をしてしまう。
高橋家(文子)(シリーズ「夫との離婚」)
望が突然ハワイから帰国する。望は亨に女性がいるかも知れないというのだが、文子は気にせずにいた。その後に帰国した亨にハワイに来るように言われ、ハワイの家に行って見るとそこには亨が雇ったメイドのナンシーがいた。それを見た文子は本当に本当の離婚を決意し、亨に望の全てを託した。
大原家(シリーズテーマ「三度目の離婚の危機」「夫の資格試験」)
葉子と透は想いのすれ違いから離婚の危機にさらされる。透が一級建築士の資格を取れなかったら別れるという。そんな中、透は姿を消してしまう。
本間家(シリーズテーマ「姑と旦那の病気」「姑との同居」「姑と娘の確執」「旦那の仕事」)
常子が突然脳卒中で倒れ、長子は昼間のおかくらを休んで看病をすることになる。さらに英作も病院で倒れ、脳外科の手術に参加できなくなる。長子は二人の看病をするために岡倉家を出て、一軒家を借りることに。偶然再会した神林に、家に来ないかと勧められ、5人で暮らすことに。それと同時に英作が神林クリニックから訪問医療を始めた。
最終シリーズ
岡倉大吉とおかくら(シリーズテーマ「孫の婚約者」)
大吉が80歳の誕生日を迎えることになる。大吉は板前になる日向子を応援するが、長子と意見が合わず喧嘩をしてしまう。大吉は五月からのお願いで貴子をおかくらの従業員として働かせる。壮太は貴子の父・道隆のリハビリを手伝うことに。
野田家(シリーズテーマ「血の繋がりのない家族との暮らし」)
弥生は医療事務の資格を持ち、病院に勤務したまま家事を厳かにしている嫁・佐枝の事が気に入らない。弥生は良に佐枝を働かした自分に後悔しているという。やがて、弥生は北川保育園で再び働き始める。正月、浜松にいる武志が佐枝と離婚してほしいと頼みに来る。良は武志とは疎遠になる。そして武志は姉・あかりに会いに行くため、再婚相手と共に海外へ旅立つ。その後、弥生は北川保育園に入園し、母親が迎えに来ないという竹下春菜の面倒を見ることに。春菜は武志と佐枝の離婚が原因で情緒不安定になっていた良武の心を開く人物になった。春菜の母親・美雨を見つけた弥生。良は美雨を庭師として共に働かないかと誘う。勇気の友達・篤の母親が亡くなり、弥生と良は篤の里親となり、篤を引き取ることになる。
小島家(シリーズテーマ「小姑との同居」「小姑の事業」「息子の婚約者」「幸楽の後継者」「姑の帰還」)
典介がインドから帰国し勇たちは、おやじバンドを再開する。そして加津の働きによって、おやじバンドがメジャーデビューすることになる。誠は愛の尻に敷かれ、ラーメン屋の屋台を閉めることにする。誠は、勇によって三代目の幸楽の主人になる。そして新しい幸楽ラーメン、幸楽ソースなどの商品を発明する。おやじバンドの影響で、幸楽は行列のできる店となる。
加津は幸楽を出て行き、父親・長太と暮らすことになる。
誠は工事現場で働いてる貴子を見つけ、眞に教える。貴子の父・道隆が脳梗塞で倒れ、二人で中国から戻ってきた。眞は貴子と縒りを戻すことにするが、貴子は今でも眞に好意を抱いているものの、病気の父親を抱える自分が眞の重荷になると気にして、その気ではなかった。眞が働いている監査事務所の先輩・長谷部力矢は、眞を祖母・マキに会わせたいと言ってマキと会うことになる。マキは勘違いして力矢の妹・まひると眞が付き合っていると思い、幸楽に向かい、五月や勇と会うことになる。
久子は長太と離婚した邦子とともにインターネットで幸楽の餃子を売ることにする。やがて、規模を大きくするため工場を作ると勇や五月に相談をする久子。1000万円が必要となり、その借金の担保として幸楽の名義にすることを頼み込む。このことに愛は猛反対。
やがて、キミが日本に帰りたいと言っていることを聞いた久子は、キミのために中古マンションを買いリフォームすると五月や勇に相談をする。五月は姑・キミが帰って来ることに不安を抱いていた。しかし、キミは本当は幸楽に帰りたいと言っていることを知った久子は勇や五月にまた相談する。五月は不安を抱きつつ、キミのためにキミの部屋をリフォームしてもらうことを決意する。やがて、キミが加奈に付き添われて幸楽へ帰ってくる。そして、最終的にキミは幸楽で暮らすことになる。さらに、眞も壮太とまひるの強い後押しもあり、貴子との結婚に至る。
文子(高橋家)(シリーズテーマ「元夫の病気」「元夫との仕事」)
文子は、相変わらず旅行会社で忙しい思いをしていた。そんな中、典介と共にインドから帰国した利子が再び旅行会社で働きだす。その後、旅行会社を大きなオフィスの一角に置くことにする。そんな中、肺癌で一年の余命宣告された亨が帰って来る。再婚相手のナンシーの家族がハワイのホテルの経営に口出ししてきたのが嫌になり、ハワイに一人望をおいたまま、一人で帰ってきた。文子は、良い妻になれなかった罪滅ぼしとして亨を介抱することに。やがて、亨の病気は誤診だったことが分かる。文子は、亨と縒りを戻さないまま、旅行会社の社員には元夫婦だということは内緒という条件で、亨を旅行会社の顧問として働かせることにする。
大原家(シリーズテーマ「二度目の妊娠」)
葉子も透も、設計の仕事で忙しい思いをしていた。そんな中、葉子が双子を妊娠していることが分かる。葉子には仕事をしないようにしていたが、葉子は軽いうつ状態になってしまう。やがて、葉子は大事を取って早めに入院することに。葉子は双子を帝王切開で出産する。
本間家(シリーズテーマ「姑の老後」「娘の進路」)
神林が亡くなり、常子は孤独な思いをしていた。神林の籍に入っていない常子は、相続権などの問題で長子、英作、日向子と共に神林の自宅を追い出されることになる。おかくらの近くのマンションに住むことになる。長子は再度おかくらで働き始める。そして日向子は、高校には行かず、壮太のような板前になると言い出す。英作は賛成するものの、長子は大学を卒業するまでは駄目だと反対する。
ただいま!!2週連続スペシャル
キミが「幸楽」で転倒して足を骨折した。キミは店に出られないなら「幸楽」にいる意味はないと言って、久子たちのマンションで暮らすことになるが、久子たちは仕事が忙しいとキミの面倒を見ようとせず、勇がキミの暮らしの世話やリハビリに付き添うことになる。 岡倉では、壮太と婚約したまひるが夜の店を手伝っていた。そんな中、まひるの母・里子が上京してくる。里子はまひるたちの祖母・マキが余命宣告されたことから、壮太とまひるが将来、長谷部家が営む有馬の旅館を継ぐ意志に変わりはないのならば、マキが健在のうちに結婚式だけでも挙げてくれないかと言う。まひる・壮太とともに力矢も彼女である金沢育美にプロポーズし、二組同時に結婚式を挙げることになった。 同じ頃、望もハワイのホテル王の娘・ルリと結婚することになり、ハワイから帰国し、大吉や弥生たちを訪ね、結婚の報告をする。

2013年スペシャル
文子・亨の再々婚と眞・貴子の離婚騒動。

2015年スペシャル
岡倉大吉が心筋梗塞で他界した後暫くして、遺産相続について話し合うために姉妹が集まる。大吉には約1億円の遺産があった。遺産は大吉と共に暮してきた長子が1人で相続すべきであると考えていた弥生、五月、文子、葉子の4人は相続権を放棄するつもりでいたが、長子は「おかくら」を閉めるつもりになっていた。だが最終的に、板前になる夢を持つ日向子の為に「おかくら」は存続させることになり、「株式会社岡倉」を設立し、姉妹たちは株主としてそれぞれの相続分を投資するという形をとることになった。

2016年二夜連続特別企画
幸楽が店を改装をする事になった。勇の後を継ぐ誠と愛が、使わなくなった住居部分を客席にして店を大きくするというもので、勇は理解を示すが、何の相談も無く勝手に店の事を決められた事後承諾に五月は激怒する。だが、愛はすでに2人が一ヶ月の工事中の間に暮らすマンションを手配しており、更に働きづめであった勇と五月に30万円の小遣いを用意していた。結果的に五月は渋々承諾するが、工事の間、勇はおやじバンドの活動が出来ると喜び、五月をマンションに残してさっさと練習に出かけてしまう。家族からも見放され、気軽に話せる友達もおらず、孤立してしまった五月は、様々な所を勝手に訪ねて世話を焼こうとするが全て裏目に出てしまい、勇には「余計な事はするな」と釘を刺される始末。そんな中、おやじバンドが原因で愛と夫婦喧嘩になった誠が「離婚する」と宣言して行方不明となってしまう。

2017年スペシャル
五月たち姉妹は「おかくら」の利益配当金である一人100万円の使い道を思案する。一方、貴子が「子育てに疲れた」と置手紙をし、家出。息子の香を連れて働く眞を見かねた愛が香の面倒を見るが、五月は「貴子とは離婚すべきだ」と譲らない。その頃、自宅で世話をしていた子どもたちが成長して手を離れた弥生と、在宅医療で忙しい英作とすれ違いの毎日を送る長子は寂しさを感じていた他、由紀が紀彦のアメリカ留学を機に英作の訪問医療の手伝いをする為に上京。弥生は自宅に喫茶店を開業したいとの事で葉子に設計依頼をし、文子は100万円で姉妹5人でグアム旅行に行く事を提案。親父バンドはメンバーの川上哲也が亡くなった(演じていた井之上隆志の死去に伴う設定)ため、活動休止していたが、哲也の妻・華江(天童よしみ)が参加したいと言うことで続ける事になる。

2018年スペシャル
貴子に眞が遺産相続の権利を放棄して愛に五月や勇の面倒をみて貰えるようにと懇願され困惑する。一方、五月はおやじバンドのメンバーで一人入れて欲しいと弥生に頼まれる。

登場人物
詳細は「渡る世間は鬼ばかりの登場人物」を参照
岡倉家
岡倉大吉(おかくら だいきち)
演 - 藤岡琢也(第1 - 7シリーズ) → 宇津井健(第8シリーズ - 2013年スペシャル)
岡倉節子の夫、元会社員、お食事処「おかくら」の主人。5人の娘の父。生年月日は1928年6月20日[注 4]。娘たちや孫たちがトラブルになるたびに娘および孫たちから代わる代わる泣きつかれては相談に乗り、時には問題解決のために奔走している。2015年スペシャルにて心筋梗塞で急逝。
岡倉節子(おかくら せつこ)
演 - 山岡久乃(第1 - 3シリーズ)
本作の主人公。岡倉大吉の妻で5人の娘の母。1933年9月生まれ、旧姓は不明。ものごとをハキハキ言うかなり厳しい性格である。「娘なんて育ててもちっとも面白くないですね」というのが口癖。大吉が仕事ばかりに打ち込み、家のことに何も関心を持たなかったことを根に持っている。しかし、婚家で娘たちや孫が(特に五月)が理不尽な仕打ちを受けると、自ら婚家に乗り込んで行って姑と対等に渡り合うこともしばしばある。第4シリーズ第1話にて、娘たちにプレゼントしてもらったニューヨーク旅行中に心筋梗塞を起こし急逝。山岡は事実上第3シリーズを最後に降板。OPクレジットにおいては、第3シリーズ総集編が組まれた上にスタート時点で生存設定であった第4シリーズ第1話が、OPで山岡の名前が載った最後の回となった。ちなみに、山岡は第3シリーズTV放送終了後、1997年国際演劇月参加作品東宝現代劇5・6月特別公演「渡る世間は鬼ばかり3」の舞台版まで岡倉節子役を演じており、岡倉節子役を最後に演じたのはTVではなくこの舞台公演であった。
親族
森山珠子(もりやま たまこ) / 岡倉珠子(おかくら たまこ)[10]。
演 - 森光子(特別出演)
大吉の姉で5人の娘の伯母。ハワイ在住。1926年8月生まれ。大吉とは2歳年が離れている。
立花ワカ(たちばな わか)
演 - 杉村春子(特別出演)
節子の叔母(節子の母親の妹)。呉服店を営んでいる。
野田家
野田弥生(のだ やよい)
演 - 長山藍子
大吉・節子夫婦の長女。1955年3月27日生まれ。
野田良(のだ りょう)
演 - 前田吟
弥生の夫。大阪に長兄がいる。1950年生まれ。大阪生まれではあるが関西弁ではなく標準語で話す。
野田あかり(のだ あかり)
演 - 山辺有紀
良・弥生夫婦の長女。1975年3月生まれ。
野田武志(のだ たけし)
演 - 岩渕健
良・弥生夫婦の長男。1978年生まれ。
小島家
小島五月(こじま さつき)
演 - 泉ピン子
大吉・節子夫婦の次女。1957年5月29日生まれ。家族思いで勝ち気だが我慢強い性格である。姉妹の中でただ一人勉強が苦手。高校生の時に不登校になり、大吉に叱られて高校を中退し家出。その後、保証人もないまま、中華料理店「幸楽」に住み込みで雇われる。「幸楽」の改築後は姑・キミと同居し、嫁として耐えるだけの生活を送っているが、子供の将来に関わる問題では自分の希望を押し通すこともしばしばある。
小島勇(こじま いさむ)
演 - 角野卓造
幸吉・キミ夫婦の長男、五月の夫。中華料理店「幸楽」2代目店主。1953年生まれ。亭主関白風だが、実は優しい性格。五月の考えを理解する良き夫であるが、母に頭が上がらないため五月をかばえず、無言になったり逃げ出したりする。
小島キミ(こじま きみ)
演 - 赤木春恵
勇と久子と邦子の母、五月の姑。中華料理店「幸楽」女将→大女将。1928年2月18日生まれ。昔気質の人間で、嫁の五月や孫である愛や眞には厳しい。二人の娘やその子供たちに対してはほとんど甘く見ている。逆に娘の姑や婚家、五月の姉妹たちや実家である岡倉家を批判する。教育などは無用で、手に職をつけ真面目に働くのが一番という考えの持ち主。2019年SPの時点で死去しており、四十九日法要が営まれ、遺影で写真出演する。
小島幸吉(こじま こうきち)
演 - 佐藤英夫
キミの夫で勇と久子と邦子の父、五月の舅。中華料理店「幸楽」初代店主。舅として時には五月に厳しく接し、口数が少なく物言いもぶっきらぼうだったが、自分勝手な主張からではなく五月や孫たちを思っての発言だった。第1シリーズ第7話において脳出血で急死。
小島愛(こじま あい) / 田口愛(たぐち あい)
演 - 吉村涼
勇・五月夫婦の長女。1982年生まれ。母親思いの優しい性格であるが、主張すべきことははっきりと言う。長女・さくらを出産後は短気で攻撃的な性格となり、ことある事に周囲に歯向かうこともしばしばある。
小島眞(こじま しん)
演 - えなりかずき
勇・五月夫婦の長男。1985年生まれ。同居する祖母・キミや叔母の久子や邦子に辛く当たられる両親や姉を常に助ける。実家の「幸楽」が忙しい時は積極的に手伝うなど思いやりのある性格。長男であるが「幸楽」は継がず、公認会計士の資格を取得し、「かすみ監査法人」で働いている。
勇の妹たち
山下久子(やました ひさこ) / 小島久子(こじま ひさこ)
演 - 沢田雅美
幸吉・キミ夫婦の長女、五月の小姑。わがままで自己中心的な性格。第8シリーズ後半から多少丸くなっている。
小島邦子(こじま くにこ) / 小川邦子(おがわ くにこ) / 野々下邦子(ののした くにこ)
演 - 東てる美
幸吉・キミ夫婦の次女、五月の小姑。姉・久子と同様自分勝手でわがままな性格。
高橋家
高橋文子(たかはし ふみこ) / 岡倉文子(おかくら ふみこ)
演 - 中田喜子
大吉・節子夫婦の三女。1961年7月18日生まれ。姉妹の中では最も勉強ができて、国立大学をストレートで合格。旅行代理店「FTトラベル」を経営している。
高橋亨(たかはし とおる)
演 - 三田村邦彦
文子の元夫。1958年生まれ。文子とは三度離婚している。
高橋望(たかはし のぞみ)
演 - 冨田真之介
文子と亨の長男。1986年生まれ。親思いの優しい子であるが、成長するにつれて親に反発したり自分の意見を主張するようになる。
大原家
大原葉子(おおはら ようこ) / 岡倉葉子(おかくら ようこ)
演:野村真美
大吉・節子夫婦の四女。1967年8月11日生まれ。一級建築士。ハワイに住む伯母の珠子に一番かわいがられている。
本間家
本間長子(ほんま ながこ) / 岡倉長子(おかくら ながこ)
演 - 藤田朋子
大吉・節子夫婦の五女。1969年9月15日生まれ。末娘らしいちゃっかりした甘えん坊の性格である。英語が得意。
本間英作(ほんま えいさく)
演 - 植草克秀(少年隊)
長子の二度目の夫で、本間病院の跡取り息子。1967年9月生まれ。本間病院を継ぐよりも大学病院で脳外科を極める。学生時代は家の近所の『幸楽』の常連客の一人で、キミに食事の世話をしてもらっていた。そのため今でも『幸楽』との関係は深い。
本間日向子(ほんま ひなこ)
演 - 土江海鈴(第3シリーズ) → 高塚麻衣(第3シリーズ) → 日野美紀(第4シリーズ) → 大谷玲凪(第5シリーズ - )
1995年スペシャルで誕生した、長子・英作の長女。1995年12月6日生まれ。家族からは「ひな」と呼ばれている。
本間由紀(ほんま ゆき)
演 - 片岡京子(第2シリーズ) → 小林綾子(第4シリーズ - )
英作の妹。不妊治療を専門とする医師。
本間常子(ほんま つねこ)
演 - 京唄子
英作・由紀の母。1939年12月24日生まれ。本間病院を医師である夫と助産師(産婦人科医)であった常子の二人で築き上げる。息子の英作、娘の由紀の双方が継いでくれることを望むが、どちらもその気がないことが不満である。
スタッフ
作 - 橋田壽賀子
音楽 - 羽田健太郎
ナレーション - 石坂浩二
歌 - 天童よしみ「人生讃歌 〜渡る世間は鬼ばかり〜」(2016年スペシャル - )
作詞 - Satomi(2017年スペシャルより、作詞としてクレジットされた)、作曲 - 羽田健太郎
プロデューサー - 石井ふく子
演出 - 清弘誠、荒井光明
演出補 - 山崎統司、阿南昭宏
技術 - 太田博
カメラ - 大熊正浩
照明 - 今井尚人
音声 - 石鍋邦広、妹川英明
映像 - 荒井秀訓
音響効果 - 牧瀬能彦
編集 - 大塚民生
MA - 武藤康一
美術プロデューサー - 矢郷進
デザイン - 椎葉禎介、中村綾香
装置 - 滝沢博史
操作 - 綱島広明
装飾 - 栗本誠治
衣裳 - 吉川茂雄、西留由起子
化粧 - 中田マリ子、佐藤有紀、大江明子
持道具 - 赤松慶人
電飾 - 三沢靖明、今村和之
建具 - 大崎健一
生花 - 遠山徹
植木装飾 - 西村尚樹
番組宣伝 - 反町浩之
スチル - 加藤徹
和食所作指導 - 柳原尚之
医療指導 - 指方梢
タイトル - 篠原榮太
衣裳協力 - 鈴乃屋(小泉清子、千原初江)
協力 - 東通、アックス、緑山スタジオ・シティ
製作補 - 室谷拡
記録 - 市島恵子
製作著作 - TBS
過去のスタッフ
プロデューサー - 井下靖央 (第3シリーズのみ)
演出 - 井下靖央、坂崎彰、川俣公明、山崎恆成、山崎統司、吉川厚志、鴨下信一、竹之下寛次
演出補 - 戸高正啓、田澤保之、宇田川尚良、酒井聖博、大久保竜、吉川厚志
カメラ - 西舘博光
編集 - 田口正樹
美術プロデューサー - 丸谷時茂
デザイン - 清水袈裟寿
装飾 - 加藤義和
化粧 - 真鍋知子、山下恵子、近藤篤子
電飾 - 井上昇
スチル - 龍田浩之、斉藤和己
ディレクター - 山田錦
製作補 - 芦田健治、早川信雄
記録 - 稲葉明子

شاكونتالا ديفي

شاكونتالا ديفي (بالإنجليزية: Shakuntala Devi) طفلة هندية معجزة وآلة حاسبة عقلية، عٌرفت باسم الحاسوب الإنسان. وُلدت في 4 نوفمبر عام 1929. حققت لها موهبتها مكانًا بارزا في موسوعة غينيس للأرقام القياسية العالمية. كتبت أيضا العديد من الروايات والنصوص غير الخيالية التي تتعلق بالرياضيات. وتوفيت " ديفي" عن عمرٍ يناهز 83 عاماً ، بعد أن برزت في علم الرياضيات والفلك نظراً لموهبتها النادرة منذ عام 1977، وذلك عندما قامت بحساب الجذر رقم 23 من رقم يزيد على المائة في خمسين ثانية فقط ، أي أسرع من أفضل حواسيب ذلك الوقت بما يعادل 12 ثانية. وبعدها بثلاث سنوات تمكنت من حساب حاصل ضرب رقمين عشوائيين يتكون كلّ منهما من 13 رقماً وذلك في 28 ثانية فقط. ولم تتوقف موهبة "ديفي" عند هذا الحد ، فقد كانت قادرة على معرفة اسم أي يوم من أيام القرن العشرين، بمجرد ذكر تاريخ ذلك اليوم أمامها.

والغريب أن "ديفي" تمتعت بتلك الموهبة الفطرية على الرغم أنها لم تستكمل تعليمها ، حيث أنها وُلدت لعائلة فقيرة تعمل في السيرك، وهو ما اضطرها إلى ترك الدراسة بعد عامين فقط لمساعدة العائلة على كسب رزقها. وظلت "ديفي" تعمل مع والدها بعروض ترفيهية بالشارع حتى تعرفت عليها الأوساط الأكاديمية الهندية، لتبدأ باحتلال المكانة التي تستحقها، علماً أنها تمكنت من جمع ثروة هائلة من خلال عملها في علم التنجيم. في 2:08 ص وتُوفيت في 21 أبريل عام 2013.

Shakuntala Devi

Shakuntala Devi (4 November 1929 – 21 April 2013) was an Indian writer and mental calculator, popularly known as the "human computer".[1][2][3][4][5] Her talent earned her a place in the 1982 edition of The Guinness Book of World Records.[1][2][3]

Shakuntala Devi wrote a number of books in her later years, including novels as well as texts about mathematics, puzzles, and astrology. She wrote the book The World of Homosexuals, which is considered the first study of homosexuality in India.[6][7] She treated homosexuality in a positive light and is considered a pioneer in the field
Early life
Shakuntala Devi was born in Bangalore, Karnataka[2][3] to an orthodox Kannada Brahmin family.[8][9] Her father rebelled against becoming a temple priest[3][10] and instead joined a circus where he worked as a trapeze artist, lion tamer, tightrope walker, and magician.[1][2][5][11] He discovered his daughter's ability to memorise numbers while teaching her a card trick when she was about three years old.[1][2][5] Her father left the circus and took her on road shows that displayed her ability at calculation.[2] She did this without any formal education.[1][3] At the age of six, she demonstrated her arithmetic abilities at the University of Mysore.[2][3]

In 1944, Shakuntala Devi moved to London with her father.[12][13]

Mental calculation
Shakuntala Devi travelled the world demonstrating her arithmetic talents, including a tour of Europe in 1950 and a performance in New York City in 1976.[2] In 1988, she travelled to US to have her abilities studied by Arthur Jensen, a professor of psychology at the University of California, Berkeley. Jensen tested her performance of several tasks, including the calculation of large numbers. Examples of the problems presented to Devi included calculating the cube root of 61,629,875 and the seventh root of 170,859,375.[3][4] Jensen reported that Shakuntala Devi provided the solution to the above mentioned problems (395 and 15, respectively) before Jensen could copy them down in his notebook.[3][4] Jensen published his findings in the academic journal Intelligence in 1990.[3][4]

In 1977, at Southern Methodist University, she gave the 23rd root of a 201-digit number in 50 seconds.[1][4] Her answer—546,372,891—was confirmed by calculations done at the US Bureau of Standards by the UNIVAC 1101 computer, for which a special program had to be written to perform such a large calculation.[14]

On 18 June 1980, she demonstrated the multiplication of two 13-digit numbers—7,686,369,774,870 × 2,465,099,745,779—picked at random by the Computer Department of Imperial College London. She correctly answered 18,947,668,177,995,426,462,773,730 in 28 seconds.[2][3] This event was recorded in the 1982 Guinness Book of Records.[2][3] Writer Steven Smith said, "the result is so far superior to anything previously reported that it can only be described as unbelievable."[14]

Shakuntala Devi explained many of the methods she used to do mental calculations in her book Figuring: The Joy of Numbers, which is still in print.

Book on homosexuality
In 1977, she wrote The World of Homosexuals, the first[6] study of homosexuality in India.[15] In the documentary For Straights Only, she said that her interest in the topic was because of her marriage to a homosexual man and her desire to look at homosexuality more closely to understand it.[16]

The book, considered "pioneering",[17] features interviews with two young Indian homosexual men, a male couple in Canada seeking legal marriage, a temple priest who explains his views on homosexuality, and a review of the existing literature on homosexuality.[18] It ends with a call for decriminalisation of homosexuality, and "full and complete acceptance—not tolerance and sympathy".[17] The book, however, went mostly unnoticed at that time.[19]

Personal life
She returned to India in the mid-1960s and married Paritosh Banerji, an officer of the Indian Administrative Service from Kolkata.[20] They were divorced in 1979.[20] In 1980, she contested in the Lok Sabha elections as an independent, from Mumbai South and from Medak in part of Telangana (presently).[21] In Medak she stood against Indira Gandhi, saying she wanted to "defend the people of Medak from being fooled by Mrs. Gandhi";[22] she stood ninth, with 6514 votes (1.47% of the votes).[23] Shakuntala Devi returned to Bangalore in the early 1980s.[20]

In addition to her work as a mental calculator, Devi was an astrologer and an author of several books, including cookbooks and novels.[2][5][11]

Death and legacy
In April 2013, Shakuntala Devi was admitted to a hospital in Bangalore with respiratory problems.[1] Over the following two weeks she suffered from complications of the heart and kidneys.[1][2] She died in the hospital on 21 April 2013.[1][2] She was 83 years old.[2][3] She is survived by her daughter, Anupama Banerjee.[3][11]

On 4 November 2013, Shakuntala Devi was honoured with a Google Doodle on what would have been her 84th birthday.[24]

Selected works
Astrology for You (New Delhi: Orient, 2005). ISBN 978-81-222-0067-6
Book of Numbers (New Delhi: Orient, 2006). ISBN 978-81-222-0006-5
Figuring: The Joy of Numbers (New York: Harper & Row, 1977), ISBN 978-0-06-011069-7, OCLC 4228589
In the Wonderland of Numbers (New Delhi: Orient, 2006). ISBN 978-81-222-0399-8
Mathability: Awaken the Math Genius in Your Child (New Delhi: Orient, 2005). ISBN 978-81-222-0316-5
More Puzzles to Puzzle You (New Delhi: Orient, 2006). ISBN 978-81-222-0048-5
Perfect Murder (New Delhi: Orient, 1976), OCLC 3432320
Puzzles to Puzzle You (New Delhi: Orient, 2005). ISBN 978-81-222-0014-0
Super Memory: It Can Be Yours (New Delhi: Orient, 2011). ISBN 978-81-222-0507-7; (Sydney: New Holland, 2012). ISBN 978-1-74257-240-6, OCLC 781171515
The World of Homosexuals (Vikas Publishing House, 1977), ISBN 978-0706904789

ozone layer

The ozone layer or ozone shield is a region of Earth's stratosphere that absorbs most of the Sun's ultraviolet radiation. It contains high concentration of ozone (O3) in relation to other parts of the atmosphere, although still small in relation to other gases in the stratosphere. The ozone layer contains less than 10 parts per million of ozone, while the average ozone concentration in Earth's atmosphere as a whole is about 0.3 parts per million. The ozone layer is mainly found in the lower portion of the stratosphere, from approximately 15 to 35 kilometers (9.3 to 21.7 mi) above Earth, although its thickness varies seasonally and geographically.[1]

The ozone layer was discovered in 1913 by the French physicists Charles Fabry and Henri Buisson. Measurements of the sun showed that the radiation sent out from its surface and reaching the ground on Earth is usually consistent with the spectrum of a black body with a temperature in the range of 5,500–6,000 K (5,227 to 5,727 °C), except that there was no radiation below a wavelength of about 310 nm at the ultraviolet end of the spectrum. It was deduced that the missing radiation was being absorbed by something in the atmosphere. Eventually the spectrum of the missing radiation was matched to only one known chemical, ozone.[2] Its properties were explored in detail by the British meteorologist G. M. B. Dobson, who developed a simple spectrophotometer (the Dobsonmeter) that could be used to measure stratospheric ozone from the ground. Between 1928 and 1958, Dobson established a worldwide network of ozone monitoring stations, which continue to operate to this day. The "Dobson unit", a convenient measure of the amount of ozone overhead, is named in his honor.

The ozone layer absorbs 97 to 99 percent of the Sun's medium-frequency ultraviolet light (from about 200 nm to 315 nm wavelength), which otherwise would potentially damage exposed life forms near the surface.[3]

In 1976, atmospheric research revealed that the ozone layer was being depleted by chemicals released by industry, mainly chlorofluorocarbons (CFCs). Concerns that increased UV radiation due to ozone depletion threatened life on Earth, including increased skin cancer in humans and other ecological problems,[4] led to bans on the chemicals, and the latest evidence is that ozone depletion has slowed or stopped. The United Nations General Assembly has designated September 16 as the International Day for the Preservation of the Ozone Layer.

Venus also has a thin ozone layer at an altitude of 100 kilometers from the planet's surface.
Although the concentration of the ozone in the ozone layer is very small, it is vitally important to life because it absorbs biologically harmful ultraviolet (UV) radiation coming from the sun. Extremely short or vacuum UV (10–100 nm) is screened out by nitrogen. UV radiation capable of penetrating nitrogen is divided into three categories, based on its wavelength; these are referred to as UV-A (400–315 nm), UV-B (315–280 nm), and UV-C (280–100 nm).

UV-C, which is very harmful to all living things, is entirely screened out by a combination of dioxygen (< 200 nm) and ozone (> about 200 nm) by around 35 kilometres (115,000 ft) altitude. UV-B radiation can be harmful to the skin and is the main cause of sunburn; excessive exposure can also cause cataracts, immune system suppression, and genetic damage, resulting in problems such as skin cancer. The ozone layer (which absorbs from about 200 nm to 310 nm with a maximal absorption at about 250 nm)[7] is very effective at screening out UV-B; for radiation with a wavelength of 290 nm, the intensity at the top of the atmosphere is 350 million times stronger than at the Earth's surface. Nevertheless, some UV-B, particularly at its longest wavelengths, reaches the surface, and is important for the skin's production of vitamin D.

Ozone is transparent to most UV-A, so most of this longer-wavelength UV radiation reaches the surface, and it constitutes most of the UV reaching the Earth. This type of UV radiation is significantly less harmful to DNA, although it may still potentially cause physical damage, premature aging of the skin, indirect genetic damage, and skin cancer.[8]

Distribution in the stratosphere
The thickness of the ozone layer varies worldwide and is generally thinner near the equator and thicker near the poles.[9] Thickness refers to how much ozone is in a column over a given area and varies from season to season. The reasons for these variations are due to atmospheric circulation patterns and solar intensity.

The majority of ozone is produced over the tropics and is transported towards the poles by stratospheric wind patterns. In the northern hemisphere these patterns, known as the Brewer-Dobson circulation, make the ozone layer thickest in the spring and thinnest in the fall.[9] When ozone in produced by solar UV radiation in the tropics, it is done so by circulation lifting ozone-poor air out of the troposphere and into the stratosphere where the sun photolyzes oxygen molecules and turns them into ozone. Then, the ozone-rich air is carried to higher latitudes and drops into lower layers of the atmosphere.[9]

Research has found that the ozone levels in the United States are highest in the spring months of April and May and lowest in October. While the total amount of ozone increases moving from the tropics to higher latitudes, the concentrations are greater in high northern latitudes than in high southern latitudes, due to the ozone hole phenomenon.[9] The highest amounts of ozone are found over the Arctic during the spring months of March and April, but the Antarctic has their lowest amounts of ozone during their summer months of September and October
The ozone layer can be depleted by free radical catalysts, including nitric oxide (NO), nitrous oxide (N2O), hydroxyl (OH), atomic chlorine (Cl), and atomic bromine (Br). While there are natural sources for all of these species, the concentrations of chlorine and bromine increased markedly in recent decades because of the release of large quantities of man-made organohalogen compounds, especially chlorofluorocarbons (CFCs) and bromofluorocarbons.[10] These highly stable compounds are capable of surviving the rise to the stratosphere, where Cl and Br radicals are liberated by the action of ultraviolet light. Each radical is then free to initiate and catalyze a chain reaction capable of breaking down over 100,000 ozone molecules. By 2009, nitrous oxide was the largest ozone-depleting substance (ODS) emitted through human activities.[11]


Levels of atmospheric ozone measured by satellite show clear seasonal variations and appear to verify their decline over time.
The breakdown of ozone in the stratosphere results in reduced absorption of ultraviolet radiation. Consequently, unabsorbed and dangerous ultraviolet radiation is able to reach the Earth's surface at a higher intensity. Ozone levels have dropped by a worldwide average of about 4 percent since the late 1970s. For approximately 5 percent of the Earth's surface, around the north and south poles, much larger seasonal declines have been seen, and are described as "ozone holes".[12] The discovery of the annual depletion of ozone above the Antarctic was first announced by Joe Farman, Brian Gardiner and Jonathan Shanklin, in a paper which appeared in Nature on May 16, 1985.[13]

Regulation
To support successful regulation attempts, the ozone case was communicated to lay persons "with easy-to-understand bridging metaphors derived from the popular culture" and related to "immediate risks with everyday relevance".[citation needed] The specific metaphors used in the discussion (ozone shield, ozone hole) proved quite useful[14] and, compared to global climate change, the ozone case was much more seen as a "hot issue" and imminent risk.[15] Lay people were cautious about a depletion of the ozone layer and the risks of skin cancer.

In 1978, the United States, Canada and Norway enacted bans on CFC-containing aerosol sprays that damage the ozone layer. The European Community rejected an analogous proposal to do the same. In the U.S., chlorofluorocarbons continued to be used in other applications, such as refrigeration and industrial cleaning, until after the discovery of the Antarctic ozone hole in 1985. After negotiation of an international treaty (the Montreal Protocol), CFC production was capped at 1986 levels with commitments to long-term reductions.[16] This allowed for a ten-year phase-in for developing countries[17] (identified in Article 5 of the protocol). Since that time, the treaty was amended to ban CFC production after 1995 in the developed countries, and later in developing countries.[18] Today, all of the world's 197 countries have signed the treaty. Beginning January 1, 1996, only recycled and stockpiled CFCs were available for use in developed countries like the US. This production phaseout was possible because of efforts to ensure that there would be substitute chemicals and technologies for all ODS uses.[19]

On August 2, 2003, scientists announced that the global depletion of the ozone layer may be slowing down because of the international regulation of ozone-depleting substances. In a study organized by the American Geophysical Union, three satellites and three ground stations confirmed that the upper-atmosphere ozone-depletion rate slowed down significantly during the previous decade. Some breakdown can be expected to continue because of ODSs used by nations which have not banned them, and because of gases which are already in the stratosphere. Some ODSs, including CFCs, have very long atmospheric lifetimes, ranging from 50 to over 100 years. It has been estimated that the ozone layer will recover to 1980 levels near the middle of the 21st century.[12] A gradual trend toward "healing" was reported in 2016.[20]

Compounds containing C–H bonds (such as hydrochlorofluorocarbons, or HCFCs) have been designed to replace CFCs in certain applications. These replacement compounds are more reactive and less likely to survive long enough in the atmosphere to reach the stratosphere where they could affect the ozone layer. While being less damaging than CFCs, HCFCs can have a negative impact on the ozone layer, so they are also being phased out.[21] These in turn are being replaced by hydrofluorocarbons (HFCs) and other compounds that do not destroy stratospheric ozone at all.

The residual effects of CFCs accumulating within the atmosphere lead to a concentration gradient between the atmosphere and the ocean. This organohalogen compound is able to dissolve into the ocean's surface waters and is able to act as a time-dependent tracer. This tracer helps scientists study ocean circulation by tracing biological, physical and chemical pathways [22]

Implications for astronomy
As ozone in the atmosphere prevents most energetic ultraviolet radiation reaching the surface of the Earth, astronomical data in these wavelengths have to be gathered from satellites orbiting above the atmosphere and ozone layer. Most of the light from young hot stars is in the ultraviolet and so study of these wavelengths is important for studying

Vishwakarma Puja

vishwakarma Jayanti is a day of celebration for Vishwakarma, a Hindu god, the divine architect.[3] He is considered as swayambhu and creator of the world. He constructed the holy city of Dwarka where Krishna ruled, the Maya Sabha of the Pandavas, and was the creator of many fabulous weapons for the gods. He is also called the divine carpenter, is mentioned in the Rig Veda, and is credited with Sthapatya Veda, the science of mechanics and architecture.

It falls on 'Kanya Sankranti' of Hindu Calendar.[1][2] It is generally celebrated every year on gregorean date of 16 or 19 September which is on the last day of the Indian Bhado month, in Solar calendar. Solar Calendar observed by states such as Assam, Uttar Pradesh, Karnataka, West Bengal, Bihar, Jharkhand, Odisha, and Tripura. The festival is also celebrated in its neighbouring country Nepal.

The festival is observed primarily in factories and industrial areas, often on the shop floor. As a mark of reverence the day of worship is marked not only by the engineering and architectural community but by artisans, craftsmen, mechanics, smiths, welders, industrial workers, factory workers and others. They pray for a better future, safe working conditions and, above all, success in their respective fields. Workers also pray for the smooth functioning of various machines. It is customary for craftsmen to worship their tools in his name, refraining from using the tools while doing so. Modern electronic servers are also worshipped for their smooth functioning.

Special statues and pictures of Vishwakarma are normally installed in every workplace and factory. All workers gather in one common place and perform the puja (reverence).

Vishwakarma puja is also celebrated a day after Diwali, along with Govardhan Puja in October–November

Kodela Siva Prasad

Kodela Siva Prasada Rao (2 May 1947 – 16 September 2019)[1] was an Indian politician from the Telugu Desam Party. Kodela Siva Prasada Rao was a Member of Legislative Assembly from Sattenapalle (Assembly constituency) [2]. He served for five years as the Speaker of the first Andhra Pradesh Legislative Assembly from year 2014 [3].In a career spanning three decades, he has served as a cabinet minister in N. T. Rama Rao and N. Chandrababu Naidu governments, serving at various times as Minister of Home affairs, Health, Major Irrigation department, Panchayat Raj and Rural Development, and Civil Supplies.

Life and education
Kodela Siva Prasada Rao born in Kandlagunta, Guntur district, Andhra Pradesh, India on 2 May 1947. Kodela Siva Prasad is married to Sasikala. The couple has three children, a daughter and two sons.

He completed his Primary education in Siripuram, Guntur district. He studied pre-university at Loyola College, Vijayawada. He graduated with an M.B.B.S from Guntur Medical College, Guntur and got his MS (General Surgery) from Banaras Hindu University.

On 16th September 2019 he committed suicide by hanging.[1]

Positions held
1983 - 1985 : Member APLA
1985 - 1989 : Member APLA
1989 - 1994 : Member APLA
1994 - 1999 : Member APLA
1999 - 2003 : Member APLA,
2014 : Member APLA - Speaker, APLA - Chairman, Business Advisory Committee
AS MEMBER OF LEGISLATIVE ASSEMBLY

1983 : Elected from Narasaraopet (Assembly constituency)
1985 : Elected from Narasaraopet (Assembly constituency)
1989 : Elected from Narasaraopet (Assembly constituency)
1994 : Elected from Narasaraopet (Assembly constituency)
1999 : Elected from Narasaraopet (Assembly constituency)
2014 : Elected from Sattenapalle (Assembly constituency)
AS MINISTER

1987 - 1988 : Minister for Home
1996 - 1997 : Minister for Major & Medium Irrigation
1997 - 1999 : Minister for Panchayat Raj

زياد علي

زياد علي محمد