浦和レッドダイヤモンズ(うらわレッドダイヤモンズ、Urawa Red Diamonds)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。呼称は浦和レッズ(うらわレッズ)である。
要
三菱自動車工業サッカー部(1950年創部)を前身とするサッカークラブで、1991年にJリーグ加盟した10チーム(オリジナル10)の一つ。ホームタウンは埼玉県さいたま市(旧浦和市)。ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002[1]、練習グラウンドはさいたま市大原サッカー場である[1]。チーム名は「ダイヤモンド」の最高の輝き、固い結束力に由来し[1]、クラブカラーである「レッド」[1] と組合わせたものである。なお、三菱グループおよびそれらを前身とするスポーツチームには、三菱の社章である菱形=ダイヤモンドを冠したものがよく見られる。
国内三大タイトル(J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯全日本サッカー選手権大会)を全て獲得しているクラブの一つであり、Jリーグクラブで初めてAFCチャンピオンズリーグで複数回優勝を成し遂げたクラブである[注 1]。また、観客動員と営業収入においては、長年Jリーグ加盟クラブ中最高の成績を維持し続けている(当項目を参照のこと)。
運営会社
運営会社は「浦和レッドダイヤモンズ株式会社」。埼玉県さいたま市緑区の埼玉スタジアム2002内に本社を置く。
三菱自動車工業(三菱自工)の全額出資により設立された(設立当初の商号は「株式会社三菱自動車フットボールクラブ」)。1996年の増資時に埼玉県と浦和市の出資を受けた。更に2000年に埼玉県内の複数の企業および三菱グループ他社など計27社[注 2]から出資を受け、三菱自工は引き続き株式の過半数(50.625%)を保有する筆頭株主であった。
しかし2016年、三菱自工が燃費試験の不正問題に起因する経営難から再建を図る際に日産自動車(日産)が株式を34%保有する単独筆頭株主となったため、日産が株式の約75%を保有する横浜F・マリノスとの間で、Jリーグクラブの親会社が他クラブの親会社の株式の保有を禁じるJリーグ規約第25条(5)の規定[注 3]に抵触する可能性が生じた[6]。これについて、Jリーグチェアマンの村井満が2016年6月の臨時理事会後に「クラブライセンス交付第1審機関 (FIB) が(レッズが日産及び三菱自の子会社・関連会社に該当するかを)認定するためJリーグ側では認定できない」とした上で「現状ではJリーグの規約に抵触する可能性が高い」との見解を表明した[7]。
三菱自工およびクラブ側で株式の委譲などを検討した結果、2016年10月31日に、三菱自工が三菱重工業と共同出資して持株会社「ダイヤモンドF.C.パートナーズ株式会社」を設立し、同社にクラブの全株式を譲渡することを発表[8]。これにより三菱自工の間接出資比率が19.8%となったことで問題を解消した[9]。
2017年1月に1億1280万円の第三者割当増資を実施し、新たに15社[注 4]が株主に加わり、株主数は43社・2団体となった[3]。なお、ダイヤモンドF.C.パートナーズも増資を引き受け(410株)、同社が過半の株式を保有する状況に変わりは無い。
クラブの経営状況
Jリーグトップの営業収益を上げる背景には以下の点が挙げられる。
1996年-1999年、2001年-2002年、2006年以降と過去に18シーズンでJリーグ観客動員1位を記録。2007年はナビスコ杯4試合、ACL6試合とカップ戦を含めた年間観客動員数がJリーグクラブでは初めて100万人を突破し、2008年はリーグ戦でJリーグ史上最高となる809,353人を動員した。2012年8月4日FC東京との試合で1000万人を動員した。
1人当たり動員単価が約2,900円(新潟:約1,700円)と比較的高水準である。これは、招待券による入場者が極めて少なく(同年度0.5%[11])、割引率10%未満にもかかわらずシーズンチケット(埼玉スタジアムの約2万2000枚を含む)が軒並み完売していることから、それらが入場料収入の確保に高い安定性をもたらしていることが挙げられる。
ユニフォームサプライヤーは、1993年から1996年のリーグ戦[注 5] でのミズノ、並びに1997年のリーグ戦でのUMBROを除き、過去は一貫してプーマであったが、2004年からナイキが独占供給契約を結んでおり、2007年からは4年間で16億円の契約に更新することが報じられている。
地域への貢献
営業収入はチーム強化の他に事業運営の財源にも割り振られ、設備投資をはじめとした高度な地域貢献を可能にしている(参考:同年度事業運営費33億200万円)。2004年には4億5000万円をかけてクラブハウスを新築。2階にサポーターズカフェを設け、1階前面には197席の練習見学スタンドを設けた。クラブはこれを地元のファンを中心にした交流拠点としてさいたま市に寄贈している。また、少年サッカーの普及事業として、各種サッカー教室の開講をはじめ、クラブトップチームの優勝賞金の一部を用具などのかたちで地元の幼稚園・小中学校・特別支援学校に寄贈するなど、独特の地域還元の手法を展開している。女子サッカーに関しては2005年2月、日本女子サッカーリーグのさいたまレイナスFCを統合し、浦和レッズ・レディースを設立。アマチュアチームに練習場を提供し、優れた選手にはプロ契約の道を開くなど、女子サッカーの普及と充実に貢献している。
埼玉県内における浦和レッズがもたらす経済波及効果 [1] は、年間127億円(2006年度ベース)[12]。そのうち、直接効果はクラブの支出68億55百万円とサポーターの交通費・飲食代21億25百万円の合計89億80百万円となり、一次波及効果は16億74百万円、二次波及効果が20億65百万円で、経済波及効果の合計は127億19百万円と算出されている [2]。これにはスカパー!(スカパー!プレミアムサービス含む)や、ケーブルテレビ等のJリーグ有料放送の視聴増加分や大画面テレビ等の購入促進効果、地元でのサッカー人気の盛り上がりに伴う消費拡大などは含まれていない。
特色ある事業のひとつに、主に幼稚園児、小学生を対象にした「ハートフルクラブ」の運営がある。2003年にスタートした同クラブは、元日本代表の落合弘がキャプテンを務め、コーチはOBの杉山弘一、土橋正樹、宮沢克行ら計8人を数える。毎週開催されるサッカースクールのほか、地域の幼稚園(レッズキッズサッカー)、小学校授業サポート、中学校サッカー部活動サポートなどを巡回実施し、また障害者にサッカーの場の提供を行うなど地域貢献にも力を入れている。2006年には約36000人の児童を集め、累計で10万人に達している。中学生未満の児童に対してはテクニック向上を重視せず、サッカーの楽しさやコミュニケーション育成を方針としているため、浦和レッズは競技力を重視する小学生チームを保有していない。
Jリーグ百年構想の一環として、さいたま市桜区の14万平方メートルの敷地(元東京農業大学グラウンド)にサッカー場(天然芝2面・人工芝1面)、フットサル場(人工芝8面)、テニス場(全天候型など9面)、野球場(天然芝1面)、ラグビー場(天然芝1面)、サイクリングコース、キャンプ場を整備しており、上述のクラブハウスと併せて、これらの施設をレッズランドとして一般に開放している。現役を引退した浦和レッズの選手が指導するフットサル教室や少年サッカー教室、伊達公子がプロデュースするテニス教室なども開講し、生涯スポーツの普及に取り組んでいる。整備・建設にあたって、批判の多い公的資金の投入を極力回避していることで、このような利用者ニーズに応えた自由な設計が実現している。室内スポーツに関しても、2006年4月に隣接する浦和西体育館の指定管理者となった。クラブでは、地域に根ざしたヨーロッパ型の総合スポーツクラブを目標としている。
そのほか、2011年3月11日の東日本大震災の復興を支援するために「東日本大震災等支援プロジェクト」に取り組み、サッカーを通じて子どもたちの心のケアに努めている。
アジアサッカー連盟が主催する2007年のAFCチャンピオンズリーグ2007(ACL)に日本代表クラブとして出場が決定して以来、「アジアを征して世界と互角に戦う強いクラブを目指す」という目標を掲げている。ACLのホームゲームには、通常予選リーグを開催する水曜は集客率が鈍いため小規模のスタジアムで開催する傾向にあるが、あえて2万人収容の駒場スタジアムではなく6万人収容の埼玉スタジアムで開催。[13] 予選通過後の全ての試合を埼玉スタジアムで開催した。また、ACLの海外遠征時には、「ハートフルクラブ」の活動を遠征地でも実施し、草の根レベルでの国際交流・サッカーの普及をはかった。2008年には、前年のACL決勝の際にUAEのドバイで事前合宿をした縁で、中東では初となる「ハートフルクラブ」の活動を同地で実施した。
定期的にさいたまシティカップを開催し、海外のクラブチームと対戦している。
2006年にイギリスのテレビ番組制作会社IMGロンドンによる、世界を代表する10クラブを題材にした番組「キングス・オブ・クラブス」の対象としてノミネートされた。同番組では、他にレアル・マドリード(スペイン)、チェルシーFC(イングランド)、ACミラン(イタリア)、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)など世界的な12クラブがノミネートされ、そのうち10クラブが「トップ10」として紹介される。IMGロンドンのプロデューサー、ゲイル・ファーマーは「浦和の知名度は欧州でも高い」と話している。番組は2007年3月から、日本を含めた世界130カ国で放送された。
2014年、フランス『ラ・グリンタ』の「2013-14シーズンのコレオグラフィー・トップ10」で7位に選ばれた[14]。
2017年、スルガ銀行チャンピオンシップ2017でアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ(ブラジル)と対戦した際、同クラブの復興を願いトップチームやレディースチームのホームゲーム会場等で、義援金募金活動(募金合計:4,246,634円)を行った。さらに浦和レッズサポーターは募金活動への参加に加え、「サッカーを愛する仲間として、何か力になりたい」という思いから試合終了直後、ポルトガル語で「世界の舞台でもう一度会おう、友よ!」と書かれた横断幕と共に、緑色のビジュアルシートでゴール裏のスタンドを埋めた。その際に使用したビジュアルシートを、企画主旨に賛同したDHLジャパン株式会社(本社:東京都品川区 社長:山川丈人)の輸送支援を受けアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウへ贈呈した[15]。また、AFCチャンピオンズリーグ2017で浦和が優勝した際、公式Twitterで祝福のメッセージが送られた[16]。
2017年、アメリカ『フォックス・スポーツ』による「最も筋金入りのファンを持つ5クラブ」に、CAリーベル・プレート(アルゼンチン)、ガラタサライSK(トルコ)、リヴァプールFC(イングランド)、FCバルセロナ(スペイン)と並び選出された
浦和市(当時)は当初、日本サッカーリーグ(JSL)1部所属の本田技研サッカー部を誘致し[17]、本田技研狭山サッカー部と統合した新たなサッカークラブ作りを構想していた。しかし本田技研本社がJリーグ不参加を表明したために、JSL2部所属のNTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)の誘致を試みたがJリーグ不参加を理由に断られた。埼玉県にはJSLに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため、当時プロリーグ検討委員会委員長だった川淵三郎に相談したところ、三菱自工の森孝慈を紹介された。森は当時、三菱自工内でサッカー部のプロ化に奔走していた[18][19][20]。
三菱自工はサッカー部の活動の中心であり、本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠とする予定であったが、Jリーグが国立霞ヶ丘陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や同競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の選定を急いでいた。フジタ(現湘南ベルマーレ)が大神練習場を使用し活動していた神奈川県平塚市や、三菱重工サッカー部の初期の活動中心地だった兵庫県神戸市とも交渉したが、いずれも自治体から満足な協力を引き出すまでに至らなかった。
こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生じた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合い良く話が進み、時間を待たずに浦和レッズ誕生へと結実した[19][20]。1991年、浦和レッズはJリーグ参加10団体(オリジナル10)の一つに選出された。
1990年代
要
三菱自動車工業サッカー部(1950年創部)を前身とするサッカークラブで、1991年にJリーグ加盟した10チーム(オリジナル10)の一つ。ホームタウンは埼玉県さいたま市(旧浦和市)。ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002[1]、練習グラウンドはさいたま市大原サッカー場である[1]。チーム名は「ダイヤモンド」の最高の輝き、固い結束力に由来し[1]、クラブカラーである「レッド」[1] と組合わせたものである。なお、三菱グループおよびそれらを前身とするスポーツチームには、三菱の社章である菱形=ダイヤモンドを冠したものがよく見られる。
国内三大タイトル(J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯全日本サッカー選手権大会)を全て獲得しているクラブの一つであり、Jリーグクラブで初めてAFCチャンピオンズリーグで複数回優勝を成し遂げたクラブである[注 1]。また、観客動員と営業収入においては、長年Jリーグ加盟クラブ中最高の成績を維持し続けている(当項目を参照のこと)。
運営会社
運営会社は「浦和レッドダイヤモンズ株式会社」。埼玉県さいたま市緑区の埼玉スタジアム2002内に本社を置く。
三菱自動車工業(三菱自工)の全額出資により設立された(設立当初の商号は「株式会社三菱自動車フットボールクラブ」)。1996年の増資時に埼玉県と浦和市の出資を受けた。更に2000年に埼玉県内の複数の企業および三菱グループ他社など計27社[注 2]から出資を受け、三菱自工は引き続き株式の過半数(50.625%)を保有する筆頭株主であった。
しかし2016年、三菱自工が燃費試験の不正問題に起因する経営難から再建を図る際に日産自動車(日産)が株式を34%保有する単独筆頭株主となったため、日産が株式の約75%を保有する横浜F・マリノスとの間で、Jリーグクラブの親会社が他クラブの親会社の株式の保有を禁じるJリーグ規約第25条(5)の規定[注 3]に抵触する可能性が生じた[6]。これについて、Jリーグチェアマンの村井満が2016年6月の臨時理事会後に「クラブライセンス交付第1審機関 (FIB) が(レッズが日産及び三菱自の子会社・関連会社に該当するかを)認定するためJリーグ側では認定できない」とした上で「現状ではJリーグの規約に抵触する可能性が高い」との見解を表明した[7]。
三菱自工およびクラブ側で株式の委譲などを検討した結果、2016年10月31日に、三菱自工が三菱重工業と共同出資して持株会社「ダイヤモンドF.C.パートナーズ株式会社」を設立し、同社にクラブの全株式を譲渡することを発表[8]。これにより三菱自工の間接出資比率が19.8%となったことで問題を解消した[9]。
2017年1月に1億1280万円の第三者割当増資を実施し、新たに15社[注 4]が株主に加わり、株主数は43社・2団体となった[3]。なお、ダイヤモンドF.C.パートナーズも増資を引き受け(410株)、同社が過半の株式を保有する状況に変わりは無い。
クラブの経営状況
Jリーグトップの営業収益を上げる背景には以下の点が挙げられる。
1996年-1999年、2001年-2002年、2006年以降と過去に18シーズンでJリーグ観客動員1位を記録。2007年はナビスコ杯4試合、ACL6試合とカップ戦を含めた年間観客動員数がJリーグクラブでは初めて100万人を突破し、2008年はリーグ戦でJリーグ史上最高となる809,353人を動員した。2012年8月4日FC東京との試合で1000万人を動員した。
1人当たり動員単価が約2,900円(新潟:約1,700円)と比較的高水準である。これは、招待券による入場者が極めて少なく(同年度0.5%[11])、割引率10%未満にもかかわらずシーズンチケット(埼玉スタジアムの約2万2000枚を含む)が軒並み完売していることから、それらが入場料収入の確保に高い安定性をもたらしていることが挙げられる。
ユニフォームサプライヤーは、1993年から1996年のリーグ戦[注 5] でのミズノ、並びに1997年のリーグ戦でのUMBROを除き、過去は一貫してプーマであったが、2004年からナイキが独占供給契約を結んでおり、2007年からは4年間で16億円の契約に更新することが報じられている。
地域への貢献
営業収入はチーム強化の他に事業運営の財源にも割り振られ、設備投資をはじめとした高度な地域貢献を可能にしている(参考:同年度事業運営費33億200万円)。2004年には4億5000万円をかけてクラブハウスを新築。2階にサポーターズカフェを設け、1階前面には197席の練習見学スタンドを設けた。クラブはこれを地元のファンを中心にした交流拠点としてさいたま市に寄贈している。また、少年サッカーの普及事業として、各種サッカー教室の開講をはじめ、クラブトップチームの優勝賞金の一部を用具などのかたちで地元の幼稚園・小中学校・特別支援学校に寄贈するなど、独特の地域還元の手法を展開している。女子サッカーに関しては2005年2月、日本女子サッカーリーグのさいたまレイナスFCを統合し、浦和レッズ・レディースを設立。アマチュアチームに練習場を提供し、優れた選手にはプロ契約の道を開くなど、女子サッカーの普及と充実に貢献している。
埼玉県内における浦和レッズがもたらす経済波及効果 [1] は、年間127億円(2006年度ベース)[12]。そのうち、直接効果はクラブの支出68億55百万円とサポーターの交通費・飲食代21億25百万円の合計89億80百万円となり、一次波及効果は16億74百万円、二次波及効果が20億65百万円で、経済波及効果の合計は127億19百万円と算出されている [2]。これにはスカパー!(スカパー!プレミアムサービス含む)や、ケーブルテレビ等のJリーグ有料放送の視聴増加分や大画面テレビ等の購入促進効果、地元でのサッカー人気の盛り上がりに伴う消費拡大などは含まれていない。
特色ある事業のひとつに、主に幼稚園児、小学生を対象にした「ハートフルクラブ」の運営がある。2003年にスタートした同クラブは、元日本代表の落合弘がキャプテンを務め、コーチはOBの杉山弘一、土橋正樹、宮沢克行ら計8人を数える。毎週開催されるサッカースクールのほか、地域の幼稚園(レッズキッズサッカー)、小学校授業サポート、中学校サッカー部活動サポートなどを巡回実施し、また障害者にサッカーの場の提供を行うなど地域貢献にも力を入れている。2006年には約36000人の児童を集め、累計で10万人に達している。中学生未満の児童に対してはテクニック向上を重視せず、サッカーの楽しさやコミュニケーション育成を方針としているため、浦和レッズは競技力を重視する小学生チームを保有していない。
Jリーグ百年構想の一環として、さいたま市桜区の14万平方メートルの敷地(元東京農業大学グラウンド)にサッカー場(天然芝2面・人工芝1面)、フットサル場(人工芝8面)、テニス場(全天候型など9面)、野球場(天然芝1面)、ラグビー場(天然芝1面)、サイクリングコース、キャンプ場を整備しており、上述のクラブハウスと併せて、これらの施設をレッズランドとして一般に開放している。現役を引退した浦和レッズの選手が指導するフットサル教室や少年サッカー教室、伊達公子がプロデュースするテニス教室なども開講し、生涯スポーツの普及に取り組んでいる。整備・建設にあたって、批判の多い公的資金の投入を極力回避していることで、このような利用者ニーズに応えた自由な設計が実現している。室内スポーツに関しても、2006年4月に隣接する浦和西体育館の指定管理者となった。クラブでは、地域に根ざしたヨーロッパ型の総合スポーツクラブを目標としている。
そのほか、2011年3月11日の東日本大震災の復興を支援するために「東日本大震災等支援プロジェクト」に取り組み、サッカーを通じて子どもたちの心のケアに努めている。
アジアサッカー連盟が主催する2007年のAFCチャンピオンズリーグ2007(ACL)に日本代表クラブとして出場が決定して以来、「アジアを征して世界と互角に戦う強いクラブを目指す」という目標を掲げている。ACLのホームゲームには、通常予選リーグを開催する水曜は集客率が鈍いため小規模のスタジアムで開催する傾向にあるが、あえて2万人収容の駒場スタジアムではなく6万人収容の埼玉スタジアムで開催。[13] 予選通過後の全ての試合を埼玉スタジアムで開催した。また、ACLの海外遠征時には、「ハートフルクラブ」の活動を遠征地でも実施し、草の根レベルでの国際交流・サッカーの普及をはかった。2008年には、前年のACL決勝の際にUAEのドバイで事前合宿をした縁で、中東では初となる「ハートフルクラブ」の活動を同地で実施した。
定期的にさいたまシティカップを開催し、海外のクラブチームと対戦している。
2006年にイギリスのテレビ番組制作会社IMGロンドンによる、世界を代表する10クラブを題材にした番組「キングス・オブ・クラブス」の対象としてノミネートされた。同番組では、他にレアル・マドリード(スペイン)、チェルシーFC(イングランド)、ACミラン(イタリア)、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)など世界的な12クラブがノミネートされ、そのうち10クラブが「トップ10」として紹介される。IMGロンドンのプロデューサー、ゲイル・ファーマーは「浦和の知名度は欧州でも高い」と話している。番組は2007年3月から、日本を含めた世界130カ国で放送された。
2014年、フランス『ラ・グリンタ』の「2013-14シーズンのコレオグラフィー・トップ10」で7位に選ばれた[14]。
2017年、スルガ銀行チャンピオンシップ2017でアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ(ブラジル)と対戦した際、同クラブの復興を願いトップチームやレディースチームのホームゲーム会場等で、義援金募金活動(募金合計:4,246,634円)を行った。さらに浦和レッズサポーターは募金活動への参加に加え、「サッカーを愛する仲間として、何か力になりたい」という思いから試合終了直後、ポルトガル語で「世界の舞台でもう一度会おう、友よ!」と書かれた横断幕と共に、緑色のビジュアルシートでゴール裏のスタンドを埋めた。その際に使用したビジュアルシートを、企画主旨に賛同したDHLジャパン株式会社(本社:東京都品川区 社長:山川丈人)の輸送支援を受けアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウへ贈呈した[15]。また、AFCチャンピオンズリーグ2017で浦和が優勝した際、公式Twitterで祝福のメッセージが送られた[16]。
2017年、アメリカ『フォックス・スポーツ』による「最も筋金入りのファンを持つ5クラブ」に、CAリーベル・プレート(アルゼンチン)、ガラタサライSK(トルコ)、リヴァプールFC(イングランド)、FCバルセロナ(スペイン)と並び選出された
浦和市(当時)は当初、日本サッカーリーグ(JSL)1部所属の本田技研サッカー部を誘致し[17]、本田技研狭山サッカー部と統合した新たなサッカークラブ作りを構想していた。しかし本田技研本社がJリーグ不参加を表明したために、JSL2部所属のNTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)の誘致を試みたがJリーグ不参加を理由に断られた。埼玉県にはJSLに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため、当時プロリーグ検討委員会委員長だった川淵三郎に相談したところ、三菱自工の森孝慈を紹介された。森は当時、三菱自工内でサッカー部のプロ化に奔走していた[18][19][20]。
三菱自工はサッカー部の活動の中心であり、本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠とする予定であったが、Jリーグが国立霞ヶ丘陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や同競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の選定を急いでいた。フジタ(現湘南ベルマーレ)が大神練習場を使用し活動していた神奈川県平塚市や、三菱重工サッカー部の初期の活動中心地だった兵庫県神戸市とも交渉したが、いずれも自治体から満足な協力を引き出すまでに至らなかった。
こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生じた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合い良く話が進み、時間を待たずに浦和レッズ誕生へと結実した[19][20]。1991年、浦和レッズはJリーグ参加10団体(オリジナル10)の一つに選出された。
1990年代