الأحد، 8 سبتمبر 2019

小田急線

小田急電鉄株式会社(おだきゅうでんてつ、英: Odakyu Electric Railway Co., Ltd.[1])は、東京都・神奈川県を中心に鉄道事業・不動産業などを営む日本の会社である。略称は小田急(おだきゅう)。
概要
小田急グループの中核企業で、東京証券取引所一部上場。日経225(日経平均株価)の構成銘柄の一社である。

1923年(大正12年)5月1日に旧会社である小田原急行鉄道が設立。1941年(昭和16年)に親会社の鬼怒川水力電気がこれを合併して小田急電鉄となった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)5月1日に東京急行電鉄に統合されたが、戦後の1948年(昭和23年)6月1日、東京急行電鉄の再編成により、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)および新会社の小田急電鉄の4社に分離されて発足した。

3路線・120.5 km(営業キロ)、計70駅を運営している。鉄軌道部門収益は1198億8000万円で大手私鉄16社中5位であり、全事業収益に占める鉄軌道部門収益の割合は72 %となっている(2017年3月31日現在)[3]。グループ企業には、運輸、流通、不動産、ホテルなど99社ある(2018年8月1日現在)[1]。小田急ポイントサービスの加盟店舗である。

経営理念
小田急グループの経営理念は『小田急グループは、お客さまの「かけがえのない時間(とき)」と「ゆたかなくらし」の実現に貢献します。』である。社会に対して事業を通じて果たすべき役割・責任や、企業市民として社会に存在する意義を表している。

社紋・ブランドマーク
社紋は1948年(昭和28年)に制定された。小田急の「小」を図案化したもので、中央の「工」は鉄道の象徴であるレール断面を、周囲の円は社内の輪を象徴している[4]。

ブランドマークは2008年(平成20年)より使用を開始している。ロゴマークはアルファベットのOを図案化したマーク(O)と、小文字の「odakyu」ロゴの組み合わせで、「豊かな沿線環境のもとに、自然・歴史・都市文化の新しい融合、豊かな生活の創造、より多くの上質と感動を提供していく小田急グループ」を表現している。ブランドマークはodakyuとだけ記される「グループブランドマーク」、odakyuの下にELECTRIC RAILWAYと記される「コーポレートブランドマーク」、odakyuの下にGROUPと記される「グループ表示マーク」の3種類がある[4]。

ブランドマークは導入とともに特急車両・一般車両にも掲出されている[5]が、小田急ロマンスカーのエンブレムとして7000形(LSE)・10000形(HiSE)・20000形(RSE)に使用されている「OER」の飾り文字と沿線である神奈川県の県花であるヤマユリの花を合わせたイラストや、一般車両に付けられている「OER」の略称も従来同様に新ブランドマークと並行して使用されている。ただし、一般車両では4000形や8000形更新車の一部でOERロゴを撤去した車両がある。また、ロマンスカーについても、廃車を免れて残存するLSEの塗装が2012年2月に登場時の塗装に復元されたことに加え、2012年3月17日のダイヤ改正に伴うHiSE・RSEの退役により、ヤマユリのエンブレムはLSEのデッキ出入口ガラスドアに残るのみとなった。
戦前の小田急は、利光鶴松が経営した電力資本・鬼怒川水力電気を親会社としていた。利光は郊外鉄道の将来性に着目し、東京市内の地下鉄網「東京高速鉄道」、山手線を外周する「東京山手急行電鉄」、城西地区の開発を目的とした「渋谷急行電鉄」などを次々と企画した。結局実現したのは小田急線と井の頭線(渋谷急行計画の後身)だけであったが、東京高速鉄道は後に五島慶太らの手により実現した。

電力国家管理に伴う日本発送電への統合で、基幹事業の電力部門を奪われた鬼怒川水力電気は小田急を合併して電鉄会社となったが、中国・山東半島での鉱業に乗り出したのが裏目に出て同社の経営を圧迫した。そのため、利光は一切の事業を東京横浜電鉄の五島に譲渡し、吸収合併されて東京急行電鉄(いわゆる大東急)となった。このため企業乗っ取りの歴史である大東急形成の中で、小田急だけは事情が異なるのだが、大東急解体の旗頭となったのは旧小田急関係者であった。

新生小田急は1948年6月、東京急行電鉄(東急)から6635万1000円で事業を譲り受けて発足した。この時、井の頭線は東急から京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に移譲され分離したが、その代わりに戦前は無関係であった箱根登山鉄道と元来は東京横浜電鉄の関連会社であった神奈川中央交通を東急から譲受して系列会社とした。また、やはり戦前は無関係だった江ノ島電鉄の持株の一部も東急から譲受したが、後に買い増しを行い系列下に収めている。

他方で、1960年前後には、東急の意を汲み、相模鉄道の株を大量に買い増すという事象も発生した。結局、買収に至ることはなかったが、今なお小田急は相模鉄道の純粋持株会社である相鉄ホールディングスの筆頭株主となっている。しかし、その持株比率は10%にも満たず、小田急自身、相模鉄道を関連企業とはみなしていないことから、一般に相模鉄道は小田急グループには含まれていない。

近年、犬猿の仲と称された西武鉄道と営業資産の協力関係、共通商品の開発に乗り出して功を奏している。箱根地区を巡る西武鉄道グループとの確執は、「箱根山戦争」の項を参照。

各ダイヤ改正の詳細は「小田急電鉄のダイヤ改正」を、下記年表にある車両基地等の新設・廃止は「小田急電鉄の車両検修施設」をそれぞれ参照。

年表
1910年(明治43年)10月1日 鬼怒川水力電気株式会社[6] 創立。
1922年(大正11年)5月29日 東京高速鉄道に対して鉄道免許状下付(東京市四谷区新宿三丁目-神奈川県足柄下郡小田原町間)[7](東京メトロ銀座線の一部となった五島慶太による東京高速鉄道とは別)。
1923年(大正12年)5月1日 [8]小田原急行鉄道株式会社[9] 創立。資本金1350万円。取締役社長に利光鶴松が就任。本社事務所を東京丸の内の三菱仲3号館に開設。
1926年(大正15年)10月4日 鉄道免許状下付(神奈川県高座郡大野村-同郡藤沢町間)[10]
1927年(昭和2年)
1月15日 小田原急行土地株式会社を合併。資本金3000万円[11]。
4月1日 一部単線で小田原線全線を開業[12]。初乗旅客運賃は大人5銭、小児3銭。新宿 - 小田原の運賃、1円36銭[11]。当時の駅数は38駅。同時に向ヶ丘遊園地を開園[11]。
6月14日 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅) - 向ヶ丘遊園地間で豆汽車を開業[11]。
10月15日 小田原線の全線複線開通。急行運転を開始する[11]。
12月27日 本社社屋(現・小田急南新宿ビル)落成。本社事務所移転[11]。
12月27日 鉄道免許状下付(高座郡藤沢町大字鵠沼-鎌倉郡川口村字片瀬間)[13]
1929年(昭和4年)
4月1日 江ノ島線全線開業。当時の駅数は13駅[14]。新宿 - 片瀬江ノ島 運賃95銭[11]。
11月 南林間都市の土地分譲事業開始。
1930年(昭和5年)11月14日 相模厚木駅(現・本厚木駅) - 東北沢駅間にて砂利輸送開始[11]。
1934年(昭和9年)11月1日 砂利採取販売開始[11]。
1935年(昭和10年)6月1日 新宿駅 - 小田原駅間ノンストップの週末温泉特急運行開始[11]。
1936年(昭和11年)9月21日 - 南武鉄道(現・JR東日本南武線)と砂利輸送列車の相互乗り入れを開始[11]。
1938年(昭和13年)
4月1日 通行税改定に伴う、旅客運賃改定。51キロ以上移動をした場合に限り、通行税2銭が運賃に加算される[11]。
6月1日 バス事業開始。士官学校前駅(現・相武台前駅) - 南林間都市駅(現・南林間駅)間ほか3路線開設[11]。
1940年(昭和15年)
4月1日 通行税改定に伴う旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税2銭が、81キロ以上移動した場合は、通行税15銭が運賃に加算される[11]。
5月1日 帝都電鉄(現・京王井の頭線)を合併。資本金4280万円[11]。
1941年(昭和16年)
3月1日 親会社に当たる鬼怒川水力電気株式会社への合併に伴い、小田原急行鉄道株式会社解散。鬼怒川水力電気株式会社は小田急電鉄株式会社と改称して新発足。資本金8780万円、取締役社長に利光鶴松が就任[11]。
6月28日 利光鶴松取締役社長辞任。翌7月4日、利光学一が就任[11]。
9月20日 利光学一取締役社長辞任。五島慶太が就任[11]。
10月1日 電力設備一切を日本発送電株式会社へ譲渡。発送電事業から撤退[11]。
1942年(昭和17年)
4月1日 通行税改定に伴う旅客運賃改定。旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税5銭が、81キロ以上移動した場合は、15銭が運賃に加算される[11]。
5月1日 陸上交通事業調整法の趣旨に則り、東京横浜電鉄に京浜電気鉄道と共に吸収合併され、東京急行電鉄(大東急)となり、小田急電鉄株式会社解散[11]。
1944年(昭和19年)
4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人10銭、小児5銭。同時に、通行税が改定され、21キロ以上キロ当たり5厘の通行税が運賃に加算される[11]。
5月31日 陸上交通事業調整法により、京王電気軌道も東京急行電鉄に統合される[11]。
1945年(昭和20年)4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
1946年(昭和21年)4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人20銭、小児10銭に。
1947年(昭和22年)
3月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人50銭、小児30銭に。
7月7日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人1円、小児50銭に。
1948年(昭和23年)
5月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人2円、小児1円に。
6月1日 東京急行電鉄から分離し、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、京浜急行電鉄と共に資本金1億円の小田急電鉄株式会社として再発足。その際、旧帝都線は京王帝都電鉄の所属になる。同時に箱根登山鉄道と神奈川中央乗合自動車(現在の神奈川中央交通)を関係会社に加える。
7月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人3円、小児2円に。同時に、通行税が改定され、キロ当たり運賃の2割が加算される。
10月16日 復興整備車により、戦後初めて新宿駅 - 小田原駅間のノンストップ特急運転開始。
10月 新宿駅西口に案内所(現在のロマンスカー営業センター)開設。
1949年(昭和24年)
2月16日 運転整理指令所を経堂に開設。
5月 東京証券取引所に上場。
5月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人5円、小児3円に。
9月17日 特急列車の毎日運行開始。それに伴い初の特急専用車として1910形が就役。
1950年(昭和25年)
4月1日 通行税廃止に伴う、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
5月12日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
8月1日 箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本駅乗り入れ開始。
1951年(昭和26年)
2月1日 本格的ロマンスカーとして1700形が就役。
8月20日 特急列車の全席指定制が導入される。
11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人10円、小児5円に。
12月1日 砂利事業を小田急砂利株式会社(後の小田急建材株式会社、1987年3月1日解散)へ譲渡。
1952年(昭和27年)4月1日 向ヶ丘遊園が有料となる。
1953年(昭和28年)
1月15日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
4月1日 江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)を関係会社に加える。
1954年(昭和29年)9月10日 立川バスを関係会社に加える。
1955年(昭和30年)
3月28日 国際観光を関係会社に加える。
10月1日 松田駅 - 新松田駅間連絡線開通により、国鉄御殿場線直通準急列車「銀嶺(ぎんれい)」「芙蓉(ふよう)」の運行を開始。
1957年(昭和32年)
2月12日 大山観光電鉄を関係会社に加える。
4月12日 経堂鉄道教習所が、運輸大臣指定動力車操縦者養成所として認可される。
6月22日 ロマンスカー3000形「SE」車就役。
1958年(昭和33年)
5月23日 向ヶ丘遊園に「ばら苑」を開設。
6月20日 ロマンスカー3000形「SE」車が第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
1959年(昭和34年)
1月29日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
5月20日 初の無人変電所となる足柄変電所を開設。
1960年(昭和35年)9月7日 箱根ロープウェイ 大涌谷駅 - 桃源台駅間開通に伴い、箱根ゴールデンコースが完成。
1961年(昭和36年)
4月1日 極超短波無線中継線全線完成。
7月21日 「鵠沼プールガーデン」開業。
1962年(昭和37年)
10月19日 大野工場開設。経堂・相武台の両工場を閉鎖。
11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
1963年(昭和38年)3月16日 ロマンスカー3100形「NSE」就役。
1964年(昭和39年)
2月17日 新宿駅改良工事完成。小田急初の地上・地下の2層式の駅となる。
11月5日 急行列車の8両編成運転を開始する。
11月7日 社内電話の全線自動化完成。
1966年(昭和41年)
1月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人20円、小児10円に。
4月1日 すべての特急列車の列車無線使用開始。
4月23日 向ヶ丘遊園モノレール線開業。
7月31日 喜多見 - 多摩 - 津久井郡城山町(現・相模原市緑区) 地方鉄道敷設免許(構想路線)[11] [注釈 1]。
1967年(昭和42年)
3月5日 「箱根フリーパス」発売開始[11]。
11月6日 新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅間などの各駅停車および準急列車の大型(20m車両)6両編成運転開始[11]。
11月21日 新宿西口駅ビル完成[11]。
12月14日 喜多見 - 多摩間の免許廃止、百合ヶ丘 - 多摩間の鉄道敷設認可[11] [注釈 2]。
1968年(昭和43年)
3月1日 大野給電所新設に伴い、全変電所の集中制御を開始。
7月1日 国鉄御殿場線の電化に伴い、気動車の運行を廃止し、ロマンスカー3000形「SE」短縮改造車による乗り入れ開始。
1969年(昭和44年)
6月 新宿 - 桃源台および新宿 - 元箱根間で自動車業営業を開始。
7月16日 ATS施設工事完成に伴い、全線で使用開始。
1970年(昭和45年)
4月1日 「小田急花鳥山脈」開設。
8月 向ヶ丘遊園駅 - 生田駅間に初のロングレール(800m軌条)施設。
10月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人30円、小児15円に。自動改札機を玉川学園前駅に試験導入。
1971年(昭和46年)4月16日 東海自動車を傘下に収める。
1972年(昭和47年)12月18日 海老名電車基地開設。
1973年(昭和48年)
5月 全線の踏切に保安設備を設置。第4種踏切の消滅。
9月8日 運輸指令所を相模大野に移設。
1974年(昭和49年)
4月16日 全列車の列車無線使用開始。
6月1日 多摩線 新百合ヶ丘駅 - 小田急永山駅間開業。5駅開設。初乗旅客運賃は多摩線内に限り、大人40円、小児20円に。
7月20日 旅客運賃改定。小田原線・江ノ島線は初乗旅客運賃が大人40円、小児20円に。多摩線は変わらず。
11月15日 「小田急御殿場ファミリーランド」開設。
1975年(昭和50年)
4月23日 多摩線が小田急多摩センター駅まで延伸。
8月18日 本社事務所を新宿駅西口の小田急明治生命ビル(現・小田急明治安田生命ビル)に移転。
12月13日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人60円、小児30円に。
1976年(昭和51年)10月28日 「小田急箱根アスレチックガーデン」開設。
1977年(昭和52年)7月1日 新宿駅 - 本厚木駅間の急行10両運転開始。
1978年(昭和53年)3月31日 営団地下鉄(現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転開始。同時に準急10両運転開始。
1979年(昭和54年)
1月8日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人70円、小児40円、多摩線が大人80円、小児40円に。
2月27日 高速バスと特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入。
4月1日 「江ノ島・鎌倉フリーパス」発売開始(江ノ島線開業50周年を記念したもの)。
1980年(昭和55年)12月27日 ロマンスカー7000形「LSE」就役。
1981年(昭和56年)
5月6日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人80円、小児40円、多摩線が大人100円、小児50円に。
9月18日 ロマンスカー7000形「LSE」が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
1982年(昭和57年)
4月1日 新宿駅改良工事が完成し、全面使用開始。
7月12日 箱根登山線に大型(20m車)6両編成乗り入れ開始。
1984年(昭和59年)
1月25日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人90円、小児50円、多摩線が大人110円、小児60円に。
3月21日 全線の荷貨物営業を廃止。
11月6日 「南伊豆フリーパス」発売開始。
1985年(昭和60年)7月20日 「丹沢・大山フリーパス」発売開始。
1986年(昭和61年)10月4日 ロマンスカーに車内電話を設置。
1987年(昭和62年)
7月1日 すべてのロマンスカーに禁煙車を設置。
10月1日 全駅で、朝7時 - 9時30分・夕方17時 - 19時30分の間を「禁煙タイム」とし、一部時間の駅構内禁煙化が行われる。
12月23日 ロマンスカー10000形「HiSE」就役。
1988年(昭和63年)
3月22日 ステンレスカー・VVVF制御車1000形就役。各駅停車の8両運転開始。
5月18日 特定都市鉄道整備積立金制度の適用により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人100円、小児50円。多摩線は、大人120円、小児60円に。
10月1日 プリペイドカード「ロマンスカード」発売開始。
1989年(平成元年)
4月1日 消費税の導入により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
7月20日 小田原線喜多見駅 - 和泉多摩川駅間複々線化工事着工。
1990年(平成2年)
3月27日 多摩線が唐木田駅まで延伸。
4月20日 『小田急時刻表』創刊。
1991年(平成3年)
1月16日 自動改札システムを暫定的に新宿駅西口地下、百合ヶ丘駅、愛甲石田駅に設置。
3月16日 「土休日ダイヤ」導入。ロマンスカー20000形「RSE」就役。同時に東海旅客鉄道(JR東海)と相互直通運転を開始。
11月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人110円、小児60円、多摩線が大人120円、小児60円に。
1992年(平成4年)
3月28日 全通勤型車両に「シルバーシート」が設置される。
5月21日 「西伊豆フリーパス」と「中伊豆フリーパス」発売開始。
1993年(平成5年)5月1日 全駅で終日禁煙を実施(ただし、喫煙コーナーは設置)。
1994年(平成6年)
3月27日 喜多見電車基地使用開始。経堂電車基地は閉鎖。
12月20日 小田原線世田谷代田駅 - 喜多見駅間の複々線化工事着工。
1995年(平成7年)9月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人130円、小児70円、多摩線が大人140円、小児70円に。窓口端末更新開始。
1996年(平成8年)
3月23日 ロマンスカー30000形「EXE」就役。
7月15日 小田急ボイスセンター開設(2004年12月に「小田急お客様センター」へ改称)。
10月1日 公式サイト「online Odakyu」を開設。
1997年(平成9年)
3月1日 全駅に自動改札機設置完了。
4月1日 消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
6月23日 小田原線喜多見駅 - 和泉多摩川駅間複々線化完成、使用開始。
9月1日 小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行開始。
11月24日 「小田急箱根アスレチックガーデン」閉鎖。
12月28日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
1998年(平成10年)
3月8日 「小田急花鳥山脈」閉鎖。
3月21日 全線の踏切が、第1種甲踏切となる。
8月22日 全線急行10両運転開始。
1999年(平成11年)
4月1日 フェアースルーシステム(不正乗車防止システム)導入。
7月17日 特急列車の乗車改札を廃止。
9月5日 「小田急御殿場ファミリーランド」閉鎖。
2000年(平成12年)
2月13日 向ヶ丘遊園モノレール線運行休止(2001年2月1日に廃止)。
8月頃 全駅・全小田急トラベルで窓口端末更新終了。および、特急券の全磁気化完了(一部除く)。
9月3日 「鵠沼プールガーデン」閉鎖。
10月14日 共通乗車カードシステム「パスネット」導入。
小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行終了。
2001年(平成13年)
4月1日 バス事業を小田急箱根高速バスに分社化。
7月15日 特急チケットレス乗車サービス「ロマンスカー@クラブ」導入。
9月28日 大原さやかによる駅自動放送を登戸駅を皮切りに 、新宿・小田原・唐木田・藤沢・片瀬江ノ島を除く下り線全駅に導入するものの、2004年に順次終了[15]。
10月27日 公式サイトからの特急券予約サービス開始。
2002年(平成14年)
1月15日 一般認定鉄道事業者に認定される。
3月23日 湘南急行・多摩急行新設。
10月15日 日本鉄道賞表彰選考委員会により、「第1回日本鉄道賞 情報化への貢献部門 日本鉄道賞表彰選考委員会特別賞」を受賞。
2003年(平成15年)
3月30日 小田原駅改良工事(橋上駅舎)が完成し、使用開始。および、特急列車の座席番号方式変更。この日から窓口端末を全駅・全小田急トラベルで更新。
5月1日 全駅の全面禁煙化実施。
8月1日 箱根登山鉄道を完全子会社化。
2004年(平成16年)
10月1日 箱根地区の事業各社を統括する持株会社小田急箱根ホールディングス発足。
12月11日 湘南急行を廃止し、快速急行・区間準急新設。同日、「小田急東京メトロパス」発売開始。
2005年(平成17年)
3月19日 ロマンスカー50000形「VSE」就役。サルーン席の営業を開始。
3月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人120円、小児60円に。従来あった多摩線加算運賃制度は廃止。なお、定期運賃は同年4月1日に改正。
6月 創業一族の利光國夫が有価証券偽造報告の責任を取り会長兼グループ最高経営責任者を辞任。
8月12日 ロマンスカー10000形「HiSE」2編成を長野電鉄へ譲渡。長野電鉄では特急「ゆけむり」として2006年12月より運転開始。
9月30日 ケーブルテレビ事業の子会社小田急情報サービス(現・J:COMせたまち)の全株式をジュピターテレコムに譲渡。
10月 小田急カード株式会社を吸収合併。
2006年(平成18年)
1月 ロマンスカー50000形「VSE」がグッドデザイン賞を受賞。
2月23日 主要13駅に自動体外式除細動器 (AED) を設置(その他の駅にも2012年4月までに全駅に順次設置)。
6月16日 ロマンスカー50000形「VSE」が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
7月 海老名駅自由通路整備事業の工事開始。
10月1日 全係員の制服を一新。駅員・乗務員は15年振り、技術係員は20年振りの変更となった。
開始。ロマンスカー全面禁煙化。
9月22日 東京メトロ千代田線への直通運転用通勤車両4000形(2代)就役。
10月14日 インターネット上に小田急バーチャル鉄道博物館開館。
10月15日 5分以上の遅延が発生した時に、公式サイトから遅延証明書をダウンロードができるサービスを開始。
2008年(平成20年)
3月15日 小田急グループのブランドマークの使用開始。ロマンスカー60000形「MSE」が就役し、東京メトロ千代田線・有楽町線への乗り入れ開始。一部を除き新宿駅 - 小田原駅間の急行を10両編成化。ロマンスカーを除き、箱根登山線内を運行する車両をすべて4両編成化。
10月22日 すべてのロマンスカーに自動体外式除細動器 (AED) の設置完了。
2009年(平成21年)4月1日 西武鉄道などと共に関東大手私鉄では初めてスルッとKANSAI協議会と提携。同日より同協議会と連携して資材の共同購入が実施される。
2012年(平成24年)3月16日 5000形(初代)・10000形「HiSE」・20000形「RSE」が運用終了。スーパーシート・グリーン席の営業を終了。
2013年(平成25年)3月23日 東京都市計画都市高速鉄道事業第九号線に基づき、小田原線の東北沢駅 - 世田谷代田駅間を含む区間を地下化[16]。同日、IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、manaca、TOICA、ICOCA、PiTaPa、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる。
2014年(平成26年)
1月 小田急グループの箱根登山鉄道・箱根ロープウェイ・箱根海賊船とともに、全駅に駅ナンバリングを順次導入[17]。
4月1日 消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定[18]。初乗旅客運賃は切符購入の場合は大人130円、小児70円、ICカード利用の場合は1円単位となり大人124円、小児62円に。
2015年(平成27年)
9月11日 新型自動列車停止装置 (D-ATS-P) の全線設置が完了[19]。
2016年(平成28年)
3月26日 東京メトロ千代田線経由で小田急の車両(4000形)がJR常磐緩行線に、JR東日本の車両(E233系2000番台)が小田急小田原線に、それぞれ乗り入れ開始。区間準急を廃止。
9月27日 タイ・バンコクに駐在員事務所を開設[20]。
2017年(平成29年)
3月1日 ロマンスカー30000形をリニューアルした「EXEα」の運転開始[21]。
6月7日 公式スマートフォンアプリ「小田急アプリ」(Android,iPhone) 配信開始[22]。
9月10日 小田原線参宮橋駅 - 代々木八幡駅間沿線のボクシングジムで火災があり、緊急停車した本厚木発新宿行き各駅停車(3000形8両編成)の新宿側から2両目(7号車)の屋根にその火が燃え移る。乗客約300人は線路に降りて避難し、けが人なし[23]。
2018年(平成30年)
2月1日 フランス・パリに駐在員事務所を開設[24]。
2月18日 鉄道業界として初となる「プラチナくるみん認定」を取得[25]。
3月3日 小田原線代々木上原駅 - 梅ヶ丘駅間が複々線化され[26]、代々木上原駅 - 登戸駅間の複々線化が完成。
3月17日 ロマンスカー70000形「GSE」就役[27]。JR御殿場線に乗り入れる特急ロマンスカーの愛称名を「あさぎり号」から「ふじさん号」(英語名 Mt.Fuji)に変更[28]。運転士・車掌・駅係員の制服を12年ぶりに刷新し、小篠ゆまデザインによる特急ロマンスカー乗務員専用の制服を使用開始[29][30][注釈 3]。
7月10日 ロマンスカー7000形「LSE」が、当日の「ホームウェイ83号」をもって定期運用終了。当時の「ホームウェイ83号」は藤沢駅行きであったが、当日限りで片瀬江ノ島駅までの延長運転が行われた[31]。

小田原線は、東京都新宿区の新宿駅から神奈川県小田原市の小田原駅までを結ぶ路線である。1927年(昭和2年)4月1日に全線開通した。

東京圏の通勤路線としての性格と、有料特急ロマンスカーをはじめとする小田原・箱根方面への観光輸送の両面を持つ。

東京都区部やそれに近接する都下多摩地域・神奈川県東部を通る区間を中心にラッシュ時は混雑する。そのため、代々木上原駅から登戸駅 - 和泉多摩川駅間の地点との間は輸送力増強のため連続立体交差化・複々線化事業が行われており、2018年(平成30年)3月に完了した。

若者の街として著名な下北沢、沿線有数の高級住宅街を擁する成城、大規模な住宅地および多摩地域有数の大規模繁華街を擁する町田、江ノ島線との交点であり運行の要所である相模大野、ベッドタウンの海老名市、県央地域最大の物流・産業拠点で厚木都市圏を形成している厚木市、東京都心部から行きやすく、登山者が多い大山・丹沢のある伊勢原市・秦野市や、海に面する歴史に満ちた城下町小田原を結ぶ、小田急を代表する路線である。

東京メトロ千代田線および東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐緩行線(常磐線各駅停車)と相互直通運転を行っていて、小田急の車両は本厚木駅から代々木上原駅を経て東京メトロ綾瀬駅まで、さらにJR常磐緩行線に乗り入れて、千葉県の松戸駅・柏駅・我孫子駅、茨城県の取手駅にまで足を伸ばす。2016年3月25日までは、小田急の車両は綾瀬駅までの運転で、東京メトロの車両のみが取手駅方面から千代田線・小田原線を経て多摩線唐木田駅へ直通運転されていたが、同年3月26日からは、小田急・東京メトロ・JR東日本の所属を問わず、関係するすべての車両(60000形およびJR東日本の209系1000番台を除く)が、小田急線・千代田線・常磐緩行線を通し運転するようになった。

また、小田原駅から箱根登山鉄道箱根湯本駅まで特急ロマンスカーおよび一部の各駅停車が乗り入れている。2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正以前は急行・準急列車も箱根登山鉄道へ乗り入れていた。

特急「ふじさん」は新松田駅 - 松田駅間の連絡線(新松田駅の少し渋沢駅寄りにある)を経由して東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線御殿場駅まで直通運転を行っている。2018年(平成30年)3月16日までは「あさぎり」の愛称で運転されていた。1991年(平成3年)3月16日から2012年(平成24年)3月16日まではJR東海、小田急電鉄の双方の車両を使用して新宿駅 - 沼津駅間で運転されていたが、同年3月17日のダイヤ改正以降は、運転区間が新宿駅 - 御殿場駅間に短縮され、小田急電鉄の車両60000形「MSE」での運転となった。なお、関東地方の私鉄では唯一、営業路線が、JR2社(JR東日本・JR東海)の在来線管内を直接結んでいる(JR東日本新宿駅、小田原駅等とJR東海松田駅)[注釈 4]。

江ノ島線
江ノ島線は、神奈川県相模原市の相模大野駅から神奈川県藤沢市の片瀬江ノ島駅間を結ぶ路線である。正確には相模大野駅から小田原駅方の地点に小田原線との分岐点「相模大野分岐点」があり、ここは運賃計算に反映されている。小田原線が開業して2年後の1929年(昭和4年)4月1日に全線開通した。

小田原線新宿駅・町田駅などから直通列車が運行されており、新宿駅から特急ロマンスカーのほか、快速急行が日中、毎時3本ほど運行されている。

多摩線
多摩線は、神奈川県川崎市の新百合ヶ丘駅と東京都多摩市の唐木田駅を結ぶ路線である。東京メトロ千代田線と併せて東京都の都市計画9号線を実現する。

多摩ニュータウンへの連絡鉄道として建設された経緯がある。途中の小田急多摩センター駅まで開業した当時、そこより先を橋本駅まで京王相模原線と併走する計画であったが、京王相模原線と競合することや単純に旅客需要が見込めないことから取り下げ、唐木田駅を開業させ、併せて喜多見検車区唐木田出張所(唐木田車庫)を開設した。

今後は相模原市と町田市が主導するかたちで横浜線相模原駅を経由して相模線上溝駅方面への延長も計画されており[35]、相模原駅延伸への前提となる米軍相模総合補給廠の一部返還が事実上内定したことから実現されるかどうか注目されている。

開業当初から2002年(平成14年)までは線内折り返しがほとんどだったが、2018年3月17日現在は新宿直通の急行が日中に毎時3本運転されている。また、このほかに線内折り返しの各停が毎時6本運転されており、同線では最低でも毎時9本が確保されている。

急行は多摩線内では栗平駅、小田急永山駅、小田急多摩センター駅、唐木田駅に停車する。なお、以前は平日の夜間には新宿・北千住 - 唐木田間のロマンスカーホームウェイ・メトロホームウェイなども見られた(3本)が、2016年3月25日をもって多摩線内のロマンスカーの営業を終了した。2018年ダイヤ改正では、多摩急行、準急、千代田線直通の急行の廃止で多摩線から千代田線に乗り入れることは無くなった(千代田線から多摩線への直通列車は各駅停車が1本のみ残存している)。

その他の営業線
JR御殿場線へ直通運転するために、小田原線新松田駅付近から御殿場線松田駅へ向かう単線の連絡線(通称・松田連絡線)が存在する。定期列車では特急「ふじさん」が使用する。小田急の乗務員は松田駅到着まで乗務する。

小田急や小田原駅で接続する箱根登山鉄道と車両メーカーとの車両授受もこの連絡線を使用する(1994年より前までは小田原駅で行っていた)。車両メーカーとの甲種鉄道車両輸送はJR東海の御殿場線を経由して行われ、JR貨物が機関車・運転士共に担当する。連絡線は小田急電鉄に属するため、JR貨物の運転士の運転は松田駅到着までであり、松田駅で小田急の運転士に交代する。列車は、そのまま連絡線を通って新松田駅まで運転を行い、機関車を切り離し単機で松田駅に戻る。小田急の運転士はこの連絡線運転のため、JR貨物で電気機関車EF65の訓練を受けており、運転の頻度は多くないものの、輸送に対応する必要に応じて2017年時点で小田急の全運転士の約4%にあたる23名が資格を保有している[36]。

廃止路線
向ヶ丘遊園モノレール線
向ヶ丘遊園モノレール線は、小田原線の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園の近くの向ヶ丘遊園正門駅までの間1.1kmを結んでいた、モノレールとしては日本では数少ないロッキード式モノレールだった。それまでの豆電車に代わって1966年(昭和41年)に開業した。

1980年代に向ヶ丘遊園でウルトラマンショーが開催された際は、PRを兼ねて運転台部分をすっぽり覆う巨大なウルトラマンのお面を取り付けていた。

2000年(平成12年)2月の定期検査時にモノレールの台車枠に30cmもの致命的な亀裂があることが判明したため、同月13日に運転が休止された。改修費用が試算されたところ、同年11月30日にでき上がった報告書にはロッキード式という希少な車種であったことが災いし、修理やその他設備の改修に3億8000万円近くの費用と2年間の工事期間が必要なことが判明した。一方、同線は遊園地への輸送が目的であり、その遊園地の利用客も減少していたため、費用対効果の面から改修費用が捻出不可能との判断が下される。これにより、運休1年後の2001年(平成13年)2月1日に正式廃止となり、翌3月には「さよなら展示会」が向ヶ丘遊園正門駅で開催された。

向ヶ丘遊園自体もモノレールの運行休止から2年後の2002年(平成14年)3月いっぱいで閉鎖(バラ苑のみ川崎市の管理で存続)となり、モノレールのレールも撤去されたが、川崎市によって、廃線跡地に遊歩道が作られたほか、モノレールの橋脚のモニュメントも設置されている。

その他の廃止線
向ヶ丘索道線:向ヶ丘索道線は、向ヶ丘遊園内で運行されていた普通索道である。
新宿省社連絡線:1944年(昭和19年)8月、小田原線下り線路と国鉄中央緩行線下り線路の間に作られた連絡線。戦時中は、国鉄から小田急への車輛貸し出しに使われた線路であった。戦後は深夜1回の貨車受け渡しのほか、1951年(昭和26年)2月に小田急で行われたカルダン駆動の電車の走行テストを相武台にて実施する試験車両が、この線路を通ったほか、機材輸送のため、国鉄大井工場 - 小田急経堂工場間に配給電車や日本車輌製造蕨工場にて作られた新造車の搬入もこの線路が使われた。その後、1960年(昭和35年)2月に1100形の4両を日立電鉄へ譲渡した際に使われたのを最後に、連絡線は使われなくなり、1963年(昭和38年)7月7日に撤去となった。
代田連絡線:代田連絡線は大東急時代に設置された線路。大東急解体後は、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)所有となった。
南武連絡線:1935年(昭和10年)9月に小田原急行鉄道と南武鉄道(現・南武線)の間で協定が結ばれ、作られた連絡線。主に、小田急の座間駅(現・相武台前駅)にて集荷した砂利を横浜・川崎方面に輸送するために設けられた線路で、1936年(昭和11年)初頭に設けられた。連絡線は、砂利輸送を目的とするものであったが、電車のやりとりも行われた。しかし、1944年に南武鉄道が国有化され南武線となると電車のやりとりはなくなり、稲城長沼駅付近にあった弾薬庫からの輸送のため、小田急(当時は、大東急)所有の無蓋貨車がこの線路を使い貸し出され南武線を走った。戦後は、1947年(昭和22年)5月に小田急の1600形が南武線に貸し出される際に使用されるなどしたが、その後使われなくなり、1961年(昭和36年)に川崎市が市道を造成することとなったことから、1967年(昭和42年)3月、廃止された。
砂利軌道・砂利側線:相模川で採取した砂利を運搬するためにかつて存在していたいくつかの路線のうち、762mm軌間の2つの軌道は小田急が保有・運行(後に別会社に委託)していたものであり、座間駅(現・相武台前駅)から新磯鉱区へ至るものと、座間市新田宿付近から新田宿鉱区へ至るものであった。後に前者は相模線相武台下駅から新磯鉱区まで、後者は同じく入谷駅から新田宿鉱区までの区間に変更されている。また、螢田駅から酒匂川の河岸へ、新松田駅から川音川の河岸への砂利運搬用の側線がそれぞれ敷設されていた。
計画・工事路線
複々線化(登戸駅 - 新百合ヶ丘駅) … 運輸政策審議会答申第18号により2015年(平成27年)までに整備着手することが適当であるとされている計画。登戸 - 向ヶ丘遊園は2009年に上り2線・下り1線の3線化が完了しており、将来は現地の区画整理とともに複々線化が予定されているが、その先の区間については、輸送量の減少や、工事用地不足などにより着工の見通しは立っていない。
複々線化(町田駅 - 相模大野駅) … 江ノ島線と小田原線の列車が重複して輸送量が逼迫している町田 - 相模大野間を先行して複々線化する計画。小田急としては、小田原線・多摩線・江ノ島線・東京メトロ千代田線の各方面への列車が重複する代々木上原 - 相模大野間を複々線化するのが基本構想とされる。行幸道路跨線橋から相模大野分岐点付近までは1998年に完成した相模大野駅改良工事の際に複々線化を視野に入れた構造とされたが町田駅付近は高架や切り通しが存在し、また沿線の宅地化が進んでいて用地がなく、輸送量の減少もあり具体化には至っていない。
相模鉄道乗り入れ … 相模鉄道の終点駅である海老名駅から本厚木駅方面へ乗り入れを復活させる計画。2006年(平成18年)4月16日に、厚木ロイヤルパークホテル(現:レンブラントホテル厚木)でシンポジウムが行われたが、両線の過密ダイヤ、保安装置の違いなど、課題が多数ある。さらには、海老名駅の大規模改良工事を開始したために、現実性に乏しいものとなっている。
多摩線延伸 … 唐木田駅からJR横浜線相模原駅を経て上溝駅への延伸計画。長年、困難だと思われてきたが、相模原駅東側にある在日米軍相模総合補給廠の一部 (2ha) が鉄道・道路用地として返還されることになり、具体的な構想に至った。相模原市によると中間駅を1 - 3駅設置することを想定している。第三セクターを設立し国と県、市の3者で事業費を3分の1ずつ負担することが検討されている。運転などは小田急電鉄に委託する構想である。
未成路線
喜多見駅 - 稲城本町駅 (9.4 km) … 1967年12月14日免許失効。多摩線の当初計画[37]。
稲城本町駅 - 小田急多摩センター駅 (5.0 km) … 1967年12月14日免許失効。[37]
小田急多摩センター駅 - 城山駅 (16.7 km) … 1987年3月9日免許失効。唐木田方面への延長に変更。[37]
内藤新宿 - 大塚町 (14.7 km) … 1924年9月2日免許失効。

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